日常

歯を失くしちゃった、親の成長

016「見て、あの顔」、助手席の長女に声をかける。歩道に沿って停めた車に向かって、三女が目を輝かせ満面の笑顔で走り寄ってくる。その姿に、長女と顔を見合わせ、ふふふと笑い。

 

車に乗り込むなり、「歯が抜けたんだよ~!」と叫ぶ三女。「今日ね、○○君にね、ぐらぐらなのって見せたらね、ひっぱりなよっていうから、ちょっとひっぱってみたらね、抜けたの!」

 

ここ最近、毎日のようにその「ぐらぐら度」を家族に見せて回っていた。やっと抜けた二本目の歯!とそれは嬉しそう。

 

ハイウェイに乗って、そのままピアノ・レッスンに向かう。兄姉弟一人一人に歯を見せ終わり、「歯の妖精」がその夜訪ねてくれるのを楽しみに、ティッシュに包んで。

 

一時間後レッスンが終わり、車を発車させようとすると、ごそごそと車の床に這いつくばっている三女。どうしたの? 歯をね、失くしちゃったの。どこにおいておいたの? ティッシュに包んでおいたんだけどね、どこかに落ちちゃったみたい・・・。しばらく兄姉が探すも、見つからず。ため息をつきながらうつむいて座席に座る。

 

歯を失くした!という出来事、これまでも何度か。袋に入れて皆に見せて歩き、そのままどこかに置き、誰かが捨ててしまったとか。ティッシュに包んでポケットに入れそのまま洗濯してしまったとか。誤って水道に流してしまい、泣き叫ぶ横で、夫が配水管をはずして管の曲線のところに運よく止まっていた「歯」を見つけたこともある。

 

この世の終わりのように泣き叫んだのを覚えている姉達、ちらちらと三女の様子を見ながら、私の方を向き「あーあ」という表情をする。

 

家も近くなり、黙ってうつむいていた三女が顔を上げ、「歯の妖精さん、お手紙書いたら分かってくれるかなあ」と。「そうそう、絶対見てくれるよ! 私もしたことあるもの!」すかさず答える姉達。

 

帰宅した途端、ガレージから家の中に駆け込み、お手紙を書く三女。

 

歯の妖精さんへ、車の中で歯を失くしちゃいました。

手に持っていた歯が床へ、の図。

 

その夜、枕の下に、お手紙を入れて眠り。朝、手紙の間に挟んであったコインを見つけ、大はしゃぎ。

 

今回のことでも思ったのは、子供によって同じような物事に対しても反応の仕方が本当に様々だということ。三女は普段からどちらかというとおっとりほんわりしていて、こういった時にも、「困ったなあ」という様子で一人ごそごと動き、「お手紙書こうかなあ」とぽつり言ったり。一方、「これで全てが終わりました」という様子で荒れ狂い悶え泣き叫ぶ子もいる。

 

三女のような場合は、その健気に見える姿に、自然と周りにも微笑みが生まれもする。そして後者のような場合は、周り緊張走り身体強張り、振り回されへとへとになることもある。そんな体験が積み重ねられ、その子に対する周りの印象のようなものもできていく。

 

親として気をつけたいのは、その都度リセットし、どちらにも同じ深さのケアと愛情を意識してかけ続けるということ。意識せずとも愛情たっぷりの微笑がこぼれる相手もいれば、自身の内に潜り、積み重なった塊を取っ払うことで、溢れんばかりの愛情が流れ出す場合もある。

 

そして、そうコンスタントに自身の内に潜るチャレンジを与えてくれる子ほど、親を、親として人として成長させる存在はない。そうしみじみ思います。

 

子供達一人一人の、泣き顔に、怒り顔に、笑い顔に、感謝しつつ。

 

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