それでも立ち上がり歩いていこうと歌い、大ヒットを生み出したハイメ・クアドラ

昨日、二年ぶりに義妹がフロリダから遊びに来ました。 義妹が子供時代を過ごしたアラスカを婚約者に見せたいと。   この婚約者、 ペルーとマイアミを行き来するミュージシャンとは聞いていたのですが、 昨日初めて会って二時間ほど話し、 これまでの歩みなど聞かせてもらいました。   父親の音楽スタジオで働きながら、 十五歳からバンドを組み音楽を作り始め、 映像学やカメラ、メディア編集、視聴覚コミュニケーションなど様々な機関で学びつつ、 1992年に最初のソロアルバムをリリース。 その後2005年までレコードスタジオの経営に没頭。 そして2006年スタジオの職を辞し、 本格的に音楽活動再開。   彼曰く 「人が欲しがるものでなく、本当に自分の音楽を作ってみようと思ったんだ」   そうしてできあがったのが、 ペルー土着の民族音楽とジャズやロックや電子音楽を合わせたアルバム 「Cholo Soy: Peruvian Waltz Chillout」でした。   「Cholo」というのは、 スパニッシュとネイティブの混血クリオーリョの中でも、 よりネイティブ色の濃い人々を指し、 下に見て侮蔑するようなニュアンスで用いられることの多い言葉。   「Cholo Soy」とは、 「私はCholo」という意味で、 虐げられ続けた「Cholo」であることに誇りを持って立ち上がる というような意味を持っているそう。   このアルバム「Cholo Soy」が大ヒット。 2008年には、 世界中でトップの音楽家に与えられる 「Independent Music Awards」の「フュージョン部門」を受賞。 そして、 「ジェームスボンド007(Quantum of Solace)」のサウンドトラックに使われることに!   自ら作った音楽が、 ジェームスボンドの映画に使われることが決まった時のこと、 それは嬉しそうに話してくれました。 初め提供した一曲、 そのシーンがカットされ使われないかもしれないと聞かされていて、 ところが監督がとても気に入り、 … Continue reading それでも立ち上がり歩いていこうと歌い、大ヒットを生み出したハイメ・クアドラ