日常

サポートし続けるということ

051九月の初めに、小学四年生次女の学習状況についてのミーティングがあった。二人の先生方と、小学校と学区全体のギフテッドプログラムコーディネーターのお二人と、夫と私。先生のお一人は二年間担任をしてくださった方、もう一人は今年赴任された方。

 

夏休み明けのテストの結果を見ると、できているはずの問題に穴がぽつぽつあいている。以前記事に書いたのですが(「ディスレクシアの克服について」「毎晩ドアを閉め、次女と二人の時間」「ディスレクシア、弱点の認識と人並み以上の努力と」)、何が原因か、次女に最適な学習環境とは、といった内容が話し合われた。

 

算数については、今のレベル(飛び級)から、学年どおりのレベルに移してみたらどうだろう(この学年のプログラムでは飛び級と学年どおりが半々ほど。学年が上になるにつれ飛び級の
割合が増える)という提案もミーティングの前にあり、試しに一週間程、学年どおりのクラスで体験学習してみるという試みもされていた。

 

問題は「言語面」と特定できるというのが、皆の一致した意見。

 

他言語を聞く環境にいる子は、高学年になるにつれ追いついてくるし、もし家庭で弱い面のサポートができるというのなら、現状レベルで様子をみてもいいのではないか。もし問題が続いたりひどくなるようならば、学年どおりのレベルに移し、ディスレクシアのスクリーニングなどもしてみよう、そう話がまとまりつつあった。

 

一週間体験学習した次女の様子から、去年したことをまた一年繰り返すということにかなりのフラストレーションを感じているようで、大好きな算数への意欲が削がれるのではと危惧していた夫と私も、それがベストに思うと伝え。

 

そこへ、今年赴任された先生(PhDを持たれ、子供達やスタッフも「先生」ではなく「ドクター(博士)」と呼ぶ)が、一週間次女のクラスでの様子を見たところ、と話される。授業中話を聞かず絵を描いていたりと気になる様子も見られるが(次女は「外では」かなり真面目タイプで先生の話を聞かないということは普段ない)、当てたら確かに答えるものの、言い回しを変えたり、より複雑な言葉で表すと、すぐに答えられないことがある。学年どおりの子に混ざっても、一番というわけでなく三番くらいだろう。テストの結果を見ると、このまま飛び級のクラスを続けるなら、○パーセントの確率で失敗しますよ。

 

「それはうまくいく確率も○パーセントあるということですね」と夫。

「まあそうですね」と先生。

それだけ言うと「行かなければならないので」とその先生は席を立ち、部屋を後に。

 

 

結局、話し合いは、苦手部分の家庭でのサポート、ひとまず現状のままで様子見ということになった。

 

それから、夜最低三十分は次女と二人でじっくりと苦手部分に向き合うということを一ヶ月程続け。

 

ミーティングから二ヶ月近くたっての今週水曜日、何度かのテスト、授業の様子から、「穴」がなくなり伸びている、算数の先生からも、今のレベルか次女にとって最適だと確信していますと知らせを受け取った。そして何よりも、以前より自信に溢れた次女の笑顔。

 

その通知を片手に帰宅した夫と、これで安心というわけはなく、これから勉強はますます複雑になるだろうし、様子を見守っていこうと話し合い。そして「失敗する確率」を示し、席を立った先生について、「それにしても、私もあなた方と同じ人数の子供がいます、とおっしゃっていたけれど、ああいった態度で母親に向かわれる子供達を、気の毒に思う」とコメントする私。

 

そう話したすぐ後、市内の東地区の小中高を合わせたコーラスの発表会があり、次女も参加するということで出かけた。

 

 

高校の講堂にぎっしりの人。座席が足りず、折りたたみ椅子を次から次へと運び入れるスタッフの方々。「観客が多いので、参加中学生が座っていた座席を空けます」という放送に、前の席へかけつける。開始時間ぎりぎり到着だったけれど、こんな前に座れてラッキー! と子供達と言い合いながら席に着き、ふと横を見、目を疑う。家を出る前に話していた、「あの先生」が座っている。この広く満員の会場に、隣同士。小さな子や大きな子に囲まれ、何だか私と全く同じ状況で。(笑)

 

コーラスは予想していた以上に楽しめるもので、子供達の声に癒され元気をもらい。

 

一時間ほどしてショーが終わり、子供達を迎えにステージ近くへ向かう親でごったがえす。先生の子供さん達が嬉しそうに駆け寄る。皆生き生きと飛びっきりの笑顔。先生の顔にも、柔らかな笑顔。

 

はっとする。私は一体、この方の何を知っていたというのか? 心の中で、頭を垂れ謝った。

 

プロフェッショナルとして、その経験と知識に基づき、最善を尽くされようとしただけのこと。

 

物事を決める際は、リスクも含めプロとコンを並べることで、より確かな道を選べる。

 

先生としての立場、親としての立場、それぞれが力を合わせ、子供の未来を思い。

 

 

では「親の立場」とは? 今回の出来事を通し、改めて確信したこと:

 

その子の可能性を信じ サポートし続ける

例え目の前に並べられたデータに 「無理」と明らかであったとしても

例えどんな「プロフェッショナル」とされる方が 「不可能」と示したとしても

例え望むような「結果」に 出会うことがないとしても 

そしてそれが 最後の最後まで続くとしても

可能性を信じ サポートし続けること

 

心に刻んでおきます。

 

東地区の小中高10校近く集まって。父兄でぎっしりの講堂。

最後は皆で「アフリカの民謡」を合唱。素敵でした。

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