マインドフルネス

心と頭を整える、「マインドフルネス」という方法

Photo 16以前少しお知らせしたDVD講座「The Great Course」のセールでいくつか購入したもの、届きました!

この「The Great Course」、幅広いテーマについて、その道の第一人者による講座がDVDにまとめられています。「脳科学」や「学校での成功」など今回購入した中で、夫が選んだテーマの中に「マインドフルネス」があったのですが、これが、なかなか面白いです。全部で十時間程あり、まだ全ては見てないのですが、ちょっとじっくり向き合ってみたいなと思っています。

 

 

Wikipediaの心理学での「マインドフルネス」には、こうあります:

 

思考、感情、身体的感覚、取り巻く環境を、瞬間瞬間に認め(acceptance)、気がついている(awareness)こと。善い悪いなどジャッジすることなく、思考や感情に注意を払うこと。過去や未来でなく、今この瞬間に脳が何を捉えているかにフォーカスすること.」

 

「The Great Course」の「マインドフルネス」講座を教える宗教学者W.J.Millard氏は、「マインドフルネスとは、あなた自身と世界について、より良く、より明確に知ること」と言います。

 

 

 

二千五百年前の仏陀の教え「サティ」(八正道の正「念」)を基にしたこの「マインドフルネス」、米国では医療や心理学の臨床現場で用いられ、様々な成果を生み出しているようです。

 

1979年に、マサチューセッツ大学で 「マインドフルネスによるストレス改善(MBSR)」プログラムが始められ、今では、ストレスだけでなく、不安感や欝の改善、アルコールやドラッグ中毒患者のセラピー、慢性的痛みの除去や術後の回復促進など医療現場などでも用いられています。

 

「米国心臓アソシエーション(The American Heart Association)」は「マインドフルネス」を続けた患者の方が、単に健康な生活や食事について指導された患者よりも、心臓発作など心臓疾患のリスクを半分に抑えることができる!とも。

 

また記憶力や集中力が磨かれ、免疫力が高める、意志決定力が強まるなど様々あるようです。

 

Millard氏曰く、「サイエンスがやっと仏陀に追いつきつつあるとも言えるかもしれませんね」と。

 

 

これまで「マインドフルネス」というと、足を組んで瞑想する姿、ニューエイジ的なもの?といったイメージを私自身持っていて、瞑想なんていう時間はとてもとれないよなあ、何だかちょっと怪しいなあとぐらいにとらえていたのですが、仏教には、生活に仕事にと「動きながら瞑想(マインドを整える)」する作務の瞑想などもありますね。まずは、普通に生活しながら、マインドの状態を見つめるということをしつつ、少し集中してマインドを整える時間も取り入れてみようかなと思っています。

 

 

 

では、マインドフルネス、より良く、より明確に自分と世界を知る、とはどういうことなのでしょう?

 

Millard氏は、まず、「マインドフル」でない状態、「マインドレス」な状態とはどういった状態かを説明します。

 

例えば、それは、監督やプロデユーサーなどが、一つ一つのシーンについて語り合う「コメンタリー」をつけっぱなしにしたまま、映画を見ようとするようなもの。絶え間ないおしゃべりに、映画自体にさっぱり集中できない状態。

 

これ、私自身まさしく身に覚えあり過ぎです。ず~と頭の中でおしゃべりすること&聞くことに忙しく、今この瞬間に起こっていることが見えてない、ほとんどの場合そうかも。

 

会議に出席し、内容を離れ、あの人髪の毛切ったみたいだけど似合ってない、この部長の声ホント気に障る、あの人のネクタイの色もう少しどうにかならないものか、思考はあちらこちらに飛び続け:「マインドレス」。

それでも、

あの人の髪型おかしい、部長の声気に障る、あの人のネクタイ変、私はそうジャッジしていると気がついているのなら:「マインドフル」。

 

 

Millard氏は「マインドレス」とは、ロデオ状態と言います。

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写真wikipediaより

自らの感情、思考、感覚に振り回わされ、落とされないようにと必死にしがみついている。

ああ、もう私なんて、日々振り回されまくって目が回りっぱなしです。

 

 

どんな敵よりも、自分のやりたい放題(undirected)なマインド程、自分を狂わせるものはない」by 仏陀。

 

確かにです。

 

 

 

それをしているのは自分だけれど、それを静かに見ている自分もいる。

 

その静かに見つめる自分であり続けることで、次第におしゃべりも静まっていく。

 

ということのようです。

 

 

 

 

マインドフルネス、即効性のあるものではなく、こつこつと地道に続ける訓練とMillard氏は言います。少しずつ少しずつ、緩みきった筋肉を鍛えていくようなイメージですね。

DVDには具体的な方法など続くのですが、またこれだと思ったら、お知らせしますね。

 

 

 

Millard氏は、仏陀の言葉に「行きなさい、そして自分自身で見つけなさい(go and find by  yourself)」とあるように、マニュアルや方法に頼るよりも、自分自身で試し気づきまた試しと切り開いていくのが大切だと言います。以前の記事「仏陀は科学者だった」にも少し書いたのですが、それが仏陀の基本にあった考えなのでしょうね。

 

ということで、ここから私自身試しての気づきなのですが、

 

一、まず自分が何を感じ何を考えているか気づく

すると、自分のあまりの腹黒さや、とんでもない考えや、エゴイスティックで醜い部分がどんどん見えてくるんですね。そして、そこで、苦しむということがあるように思うんです。もう自分なんてどうしようもない、だめだめで、ああこんな嫌な自分を何とかしたいけど、次から次へととめどなくあふれてくるし、自分なんてもうどうしようもない。

ここにはまりこんで苦しんでいる人って、案外多いように思うんです。

 

そこで、

二、そんな「自分に気づき苦しむ自分」をも善悪などジャッジすることなく気がついている

そうすることで、再び、それをしている自分と、それを静かに見ている自分が現れ、続けるうちに落ち着いていくんです。

この一から二への流れ、この講座に触れ、はっと気づかされたことです。

 

そしてしばらくするとまた、「こんな自分なんて」とか「こうやって気づいちゃったりして私ってすごいと舞い上がる自分」などが生まれてきて、そんな自分に苦しむ自分も出てくる、そしてそこでまた「気がついて苦しむ自分に気がついている」。たまねぎの皮を剥くように、こうして繰り返していく。その先に、実は何も無い(仏教で言う「無」)ということがあるのかもしれませんね。

 

その先にあるのは? 私は「温もり」や「慈しみ」のように感じるんです。Millard氏曰く、「人の本質(nature)とは、哀れみ(compassion)」だそうです。そしてヘブライ語で「哀れみ(compassion)」とは「子宮」を意味するのだそう。

 

とても感覚的な話ですが。一から二への移行、私にとって、とてもとても大きな気づきでした。

 

 

 

「マインドフルネス」の批判の一つとして、この「見る」や「気づく(aware)」といった「言葉の曖昧さ」があるのですが、確かにこうした言葉で表してしまっても、微妙にずれているという感覚がありますね。自身でこの「見る、気づく」といった感覚を見出していくのが大切なのだと思います。

 

また、こちらの記事にあるように、「創造性や洞察力のためには、ぼんやりしたり空想にふけったりすることが必要」ということもあります。「マインドフルネス」からをも自身を解き放ち、ゆったりと大自然の中に委ね抱かれるような時も持っていけたらなと思っています。

 

 

 

「体現」は、最も有効な子供達への教授法。

安定した心、マインドで、子供達に向き合っていけたら、そう思いつつ!

 

 

 

 

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参考資料:

日本語で「マインドフルネス」について紹介したサイト。その効用、注意する点などがまとめられています:

記憶力や免疫力をも上げる? 「マインドフルネス」とは結局何なのかhttp://www.lifehacker.jp/2014/01/140124mindfulness.html

‘Breathing In vs. Spacing Out’ JAN. 14, 2014

Practicing Mindfulness by Mark W. muesse  The Great Course

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