パジャマ着たままだったり。
朝食、果てしなくパンケーキ焼き続け。
今日は朝から長男と長女NPOで飛行機を組み立てに。午後から再び友人息子君二人誘って七人連れでプールに行ってきます。夕方から次女三女水泳レッスン、長女ダンスレッスン、夜は次女のサッカー試合、長男ブラジリアン柔術。どうやって全部一人で送り迎えするのか、まだいまひとつぴんときてないのですが、力抜いていきます。(笑)
皆様の一日が、素晴らしいものでありますように!
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ビーフシチューに、チップス&サルサに、サラダに、チーズにパンにワインにフルーツにと持ち寄って、第一回「ブッククラブ」。
次女十歳のクラスメート三人と、お母さん達&お父さんで。
まぶしい日差し。芝生に座ってピクニックしながら。
手前の一人は妹ちゃん。
この日読んでくることになっていたのは:
「What Was the Underground Railroad?」by Yona Zeldis McDonough
(このGrosset & Dunlap社の「What was・・・」「Who was・・・」シリーズ、歴史的出来事や歴史上の人物について分かりやすくまとめられていて、次女の学校の教室にも多く揃えられ、子供達も大好きです。)
「Underground Railroad」というのは、「地下を走る線路」ではなく、十九世紀黒人奴隷が米国北部やカナダへと自由を求め逃げるために用いた道筋のことを、歴史的にこう呼ぶんですね。この本は、当時の過酷な黒人奴隷の様子など、「the Underground Railroad」を通して描かれたノンフィクションです。
「the Underground Railroad」の使用は、1850年から1860年頃ピークを迎え、ピーク時では年に千人近くの奴隷が南部から北へと自由を求めこの道筋を行ったといいます。通路には間隔を置き、「station」 と呼ばれる宿泊地や休憩地(洞穴や教会の地下や)があり、逃避を手伝う人々(白人、逃避に成功した黒人、ネイティブアメリカンなど)は「conductor」と呼ばれていました。
どんなところが興味深かった?などの質問に、様々話し始める子供達。
ジョージワシントンやベンジャミンフランクリンも、奴隷を抱えていたというのにびっくりした。
私達と同じくらいの年の子が、家族から引き離されて、プランテーションで毎日100キロ近くのコットンを運ばなければいけなかったなんて・・・。
イラストや地図や年表などが豊富で、時代の流れがよく整理できた。
などなど。
親も思うことをそれぞれ口にし、話は様々発展。
・この本での描写はかなりマイルドになっているけれど、実際の扱いはもっとひどい場合もあって、奴隷市場では皆裸で並べられ人としては扱われてなかったのよ。
・なぜ南部と北部で奴隷制への姿勢にこれほどの違いがあったんだろう? それは、生業の違いが大きいのだろうね。プランテーションや農業が主流の南部とより多様な収入源のあった北部と。
・17世紀にアフリカからつれて来られた人々、奴隷としての歴史を経、米国でオバマ氏が大統領に選ばれたということ。アフリカンアメリカンの人々にとって、米国にとって、世界にとってそれがどれほど大きな意味を持っているか。
・といって人種差別がなくなったわけでもなく。例えば不法移民者を奴隷のように扱ってもいる。不法移民者の中には、最低賃金さえも払われずひどい生活を続ける人々もいる
・それでも、不法移民者の中には出身国よりはよほどましな生活であるという人々も多い。世界を見回せば、米国のような物質的に恵まれた状況に暮らす人々は一握り。米国国内の貧富の格差は、「先進国」の間で最も大きいともいわれるけれど、米国で最も貧しいといわれる層でも、貧しい国に比べると、収入的には裕福層。(http://economix.blogs.nytimes.com/2011/01/31/the-haves-and-the-have-nots/?_php=true&_type=blogs&_r=0)
世界の他の地域にも「奴隷」制度はあったの? という質問も。
親御さん達、東欧出身、フランス出身、夫さんが中国についての研究者で中国に住んだことがある、アメリカ生まれ育ちと、背景も様々。それぞれが関係ある地域について説明し。
日本では?と聞かれ、
米国のように明らかな「奴隷」というものは存在しなかったとも言えるけれど、どんな社会集団にも、底辺へと押しやられていく層があるもの。「奴隷」の定義にもよるけれど、他国から連れてきて大多数が望まない仕事をさせるということなら、朝鮮半島との歴史もあります。また金銭での人身売買ということならば、貧しい家庭では子供を売らざるをえず、工場(や性産業)などで奴隷のように働かされたという時代もありました。そして政策的に底辺層に追いやられた人々(部落問題)というのもいます、と話し。
フランス人のCさん、フランス本土には「奴隷」というものは確かになかったけれど、アフリカなど各地に植民地を築き、現地の人々を奴隷のように扱っていました、と。
お母さん達もフルタイムで働いている方が半分。皆忙しい中時間を搾り出して。
提案してくれたフランス人のCさん、娘ちゃんは本ばかり読んでいるのだけれどジャンルに偏りがあるので、こうした機会を作って新しい分野の本にも興味を持ってくれたらなと思ってねと。
来月のブッククラブでは、「Battle of the Books(本の内容をいかに覚えているかを競う全米で行われる競技会)」リストの中から、子供達が「Fablehaven」 by Brandon Mullを選びました。子供向けの人気小説です。こちらの子供小説、実は今まで読んだことがないので、いい機会です。その後は、古典もいいね、詩もいいねと親たち話し、 細々とでも、長く続けていきたいね、と皆さん。
次女も充実していたようですが、私自身、様々異なる視点からの意見や知識に触れ、とても刺激的で貴い時でした。
家に戻り、上の子達ともこの「ブッククラブ」で話された内容を話し合い。
こんなTEDスピーチも見てみました(「人種問題にどう向き合うか」by Mellody Hobson 2014年三月)。
バリューに基づいた金銭マネージメントを目指すファーム「Ariel Investments」の取締役メロディー・ホブソン氏は、「今でも米国では、人種問題について話すならば、どんな場であろうと皆一気に引いてしまいます。人種問題は、最もタブーとされるテーマなのです」と言います。そして、「色の違いに盲目」(color blind)になり、問題をなかったことにするのではなく、「色の違いに勇敢」(color brave)になり、人種問題についてもっと話し合うべきだと。
ホブソン氏は統計を見ると、米国がどんな状況にあるかが一目瞭然だとします。人口の三十パーセントを占める白人男性、それでも全米企業の会社役員の七十パーセントが白人男性なのです。 Fortune 250(収益別ランク、トップ250の会社)の取締役のたった七人がマイノリティーであり、何千もある上場企業の内たった二社の取締役が、アフリカンアメリカンの女性です(その内の一つがホブソン氏の会社)。
氏は、多様な背景を持つ人々を雇用し、多様なアイデアや見方を生かそうとする姿勢が、いかに企業にとって社会にとって重要であり、メリットとなるかを説きます。
そして、日々心がけるシンプルなこととして、仕事場、学校、家庭、あなたのいる環境を観察してみてくださいと言います。目的意識を持ち、意図して、あなたの周りの人々を見てください。そして、あなたと違って見える人々、あなたとは異なる考え方をする人々、あなたとは違った行動をする人々、あなたの出身とは異なる出身を持つ人々をどうぞ招き入れてくださいと。それらの人々はあなたが「推測するもの」にチャレンジするでしょう、それがあなたを人として成長させます、あなたはそれらの人々から力強い新しい洞察を手に入れるんですと。
多様性の海に漕ぎ出し、「推測の枠」を破り続ける。多様性を新しく道を築く力へと生かしていく、この姿勢に心の底から同意です。
ホブソン氏の母親の話も、とても心に響きました。
氏曰く「残酷なほど現実的」だった母親、七歳の時白人の子達に囲まれ一人だけ黒人の誕生日会に招かれ、帰ると、「ケーキは美味しかった?」などの質問でなく開口一番「で、どう扱われたの?」と。六人の子供を抱えシカゴに暮らすシングルマザー、時にガスも止まり、電話も止まり、ホットプレートで風呂の湯を沸かし。四歳の時「サンタはママよ」と言うほどの現実主義だったそんな母親が、毎日毎日氏に向かって言った言葉が、「あなたは何にだってなれるのよ」だったと。
この言葉が、氏を目覚めさせ、学校を好きにさせ、通学のバスで大きな夢を見させ、今こうして舞台に立ち、情熱を持って未来の子供達のために「違いに勇敢」になって下さいと話す力を与えてくれたのですと。
心揺り動かされるメッセージ。
上三人の子達も、彼彼女達なりに様々感じたようです。
「違いに勇敢」に向き合い、
交わることで自らの推測の枠を打ち破り、
前へと進む力へと生かしていく、
果てることのない希望を胸に。
思い出していきます。
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