私自身実践を通し、とても有効だと感じる、マインドフルネス認知療法(第三世代の認知療法として英国では国の機関がうつ病患者に勧めるなど、効果が認められている)で用いられるメソッドです。
より重く慢性的なうつ病には、専門家のケアが必要となりますが、日常的に起こるアップダウンの落ち込みや、「うつ状態」には、こうしたメソッドを知り、習慣的に適応してみることで、随分と楽になる、そう思います。
思考や感情は移り変わる
「思考や感情」は、アップダウンと移り変わります。朝楽しい気分で飛び起きたと思ったら、数時間後には落ち込んでいたり、どんより落ち込んでいたと思ったら、夕方にはケタケタ笑っていたり。
そんな「思考や感情の波」について思うとき、私自身こんな出来事を思い出します:
夫と一緒に住み始めて何年かの間、しばしば喧嘩して、プチ家出をしたものでした。しゃれになってない!何だと思ってるんだ!日本に帰ってやる!もう怒りと悲しさとやるせなさががぐるぐる渦巻き。
ところが、夕焼けの中歩いて風に当たり、雑貨店の戸棚に並べられた置物を手に取り、本屋に待っていた新刊を取りに行き、お菓子売り場で宝石のようなチョコレートを眺め、古着屋でちょっとこれはそうそうないよと思える掘り出し物を見つけ、などなどしている内に、気分も軽く、何だか嬉しい気持ちさえ感じながら、るんるんと家路についていたり。
すっかりご機嫌な私を、「???」という様子で迎える夫。
我ながらその都度呆れもしましたが、あれほど渦巻いていた気持ちは一体・・・、そう気持ちというものの「続かなさ」を、しみじみ思ったものです。
落ち込んでいるのなら、今のこの状態が、ずっと続くわけじゃない、まずはそう「思考や感情は続かない」という性質を、思い出してみます。それだけでも、思考や感情にがんじがらめな状態から、少し距離ができます。
落ち込んでいる状態には特有の思考回路がある
落ち込んでいる時というのは、「ある特定の言葉や思考回路」を繰り返し続けていると言います。
例えば以下のような言葉や問いです:
私はだめだめ。
なんで私は決して成功できないんだろう。
誰も私のことを理解してくれない。
このまま続けられるわけがない。
私がもっと良い人だったなら。
私は何て弱いんだろう。
私の人生は全然思うとおりにいってない。
自分が残念すぎる。
何もよく思えない。
もう我慢できない。
何も始めることができない。
私はどうしちゃったんだろう。
どこか他のところにいられたらいいのに。
何もまとめることができない。
自分が憎い。
私には価値がない。
消えることができたらなんていいだろう。
私は負け組。
私の人生はもうむちゃくちゃ。
私は敗者。
私になんて絶対できないだろう。
私は自分では何もできない。
何かが変わらないといけない。
私に何か間違ってることがあるに違いない。
私の未来は寒々しく荒れてる。
私は何も終えることができない。
(”The Mindful Way Workbook” by John Teasdale, Mark Williams and Zindel Segalより)
試しに、これらの言葉を、落ち込んでいる時と、そうでない時、それぞれ「A.かなりそう思う」、「B.少し思う/あまりそう思わない」、「C.全然そう思わない」といったスケール別に評価してみて下さい。
すると、普段の状態の評価に比べ、落ち込んでいる時というのは、「A.かなりそう思う」が断然多くなります。
落ち込んでいる時とは、こうした「特有の思考回路」をしていると思い出し、「あ、今自分は、落ち込み回路にはまってるな」と自覚してみます。あたかも咳や鼻水やのどの痛みといった「特有の症状」を持つ「一過性の風邪」にかかっちゃったな、といったようにです。そうすることでまた、落ち込み回路にがんじがらめになる自分を、少し客観的に距離を置いて見ることができます。
変化し続ける思考・感情にどう向き合うか
同じ人であっても、「私は終わってる」と思うこともあれば、「私って結構いける」と感じることもある。物事の捉え方、思考や感情は、変化を繰り返します。
マインドフルネスでは、こうしてころころと移り変わる思考や感情というものは、その人の内に行き来するものであり、その人自身ではないと捉えます。「天気」のようなものとも言えるかもしれません。雨かと思えば、雪になり、曇っていたかと思えば晴れ間がのぞくと、常に来ては去りと変化していく。
そしてマインドフルネスは、それら移り行く思考や感情に抗い、どうにかコントロールし変えようとするよりも、「うまく付き合っていく」ことを目指しています。天気を変えてやろうとするよりも、雨が降れば傘をさし雨音に耳を澄まし、雪になれば防寒具を着込み雪合戦、晴れ間がのぞけば日の光に目を細めて。
落ち込んじゃだめ、落ち込んでる自分が嫌、もっとハッピーでいたい、そう「抗う」ことで、多くの場合、ますます「落ち込み思考や感情」にはまり込んでしまいます。雨が嫌、晴れがいいと「抗った」ところで、ますます自分がきつく辛くなるだけのように。
それよりも、ああ、私落ち込んじゃってるよ、しょうがないなあ、温かいハーブティーでも飲んで、お気に入りの音楽聴いて、ゆったりしよ。そう「一過性の風邪」にかかった自分を労わるかのように接してみます。
すると、案外、どんな思考や感情も、それほど長くは留まることなく、さらさらと流れていくものです。
「嫌悪感」を見つめる
さて、この「抗う」という行為は、「嫌悪感(aversion)」を基にしていることが多いものです。
落ち込む自分が嫌、落ち込むべきじゃない、ハッピーじゃないと嫌!といった「嫌悪感」です。
落ち込みが始まる → 嫌悪感 → 抗う → ますます落ち込む。
といったサイクルを繰り返し、ますます落ち込んでいくのです。
そこで、マインドフルネスでは、この「嫌悪感」を見つめていきましょうとします。親しみと思い遣りをもって、穏やかにソフトに、探索してみる。
そうすることで、嫌悪感によって反射的に引き起こされる「抗う」という「反応」の前に、「ひとスペース」挟むことができるようになっていきます。
またうつ状態や落ち込みだけでなく、「不安感」なども同じような仕組みがあると考えられています。不安感を感じるべきじゃない、不安感にさいなまれる自分が嫌、違わないといけない。そう「抗う」基にある「嫌悪感」を見つめていきます。
マインドフル状態を培う日頃の習慣
こうした「言葉での整理」と共に、「思考や感情が移り行く中心に、すっくと穏やかにある自身」という感覚を育むのが、マインドフル状態を培う日々の習慣です。その中に座っての「瞑想」も含まれるのですが、食べながら、歩きながらなど、日常の動作に取り入れていくのも、とても有効な方法です。
習慣にし、日々続けたとしても、「感情や思考の波」がなくなるわけではありません。それでも一つ一つの波に呑まれ、引きずられ、がんじがらめに落ち続けていく、ということは少なくなっていくなあ、確かに私自身、そう実感しています。
落ち込む自分とうまく付き合うには?
1.「思考や感情は続かない」という性質を思い出す。
2.「落ち込み時特有の思考回路」を思い出し、「ああ、自分は、落ち込み回路にはまりつつあるな」と自覚する。「一過性の風邪」とのアナロジー。
3.思考や感情は自分自身ではなく、内に行き来するものと捉える。
4.思考や感情の波に「抗う」より、共にある。そうする内にさらさらと移り変わっていくもの。
5.「抗う」行為の基にある「嫌悪感」を見出し、見つめる。
6.「思考や感情が移り行く中心に、すっくと穏やかにある自身」というマインドフル状態を培う習慣を持つ。
思考や感情とがんじがらめの一体となり、落ち込みのダウンスパイラルへと促すもの、それが「抗う」という姿勢であり、その基にある「嫌悪感」である、そうマインドフルネスでは考えられています。
「抗う」のでもなく、「同化する」のでもなく、「共にあろうとする」。
何もかも「コントロールしよう」と突き進んできた欧米に、「受け入れ同化しがち」な面を持つアジア。
そのアジアにルーツを持ち、昨今欧米社会に浸透しつつあるマインドフルネスを通し、欧米とアジアの「よき部分」が生かされ、よりよき流れが生まれていくといいな、そんなことを想いつつ。
皆様、どうぞよい週末をお過ごしください!