ここ十日程、八年生の社会科の時間に、大統領選を体験しようというプロジェクトがありました。三十人ほどのクラス、半分以上が立候補したいという中、まずは三人の大統領候補と三人の副大統領候補が投票で決められ。
女の子のペア一組と、男の子のペア二組。顔ぶれを見ると、女の子達は優等生タイプ、男の子達は長男も含め、どちらかというとお笑いタイプ。大統領候補になった長男、副大統領候補の友人君と、ポスターを作り、政策を練り、演説を練習し、クラスの皆に話をして周るキャンペーンに。
先生からは、「何が自分達の特色か、どうしたら他の対立候補から際立たせることができるか」を考えるようにと言われ、友人君と作戦を重ねて。
ここ何日か、長男、もう選挙のことで頭がいっぱいでした。
先日、「悪口を言いたくなる時、思い出すこと」の記事を読んだ友人が、政治やビジネスでは、「othering」という手法が頻繁に使われるのよと教えて下さった。
ちょうどいいタイミング!と、その「othering」の話を長男と。
「othering(他者化)」とは、誰かや何かを「根本的に違うもの」、相容れない「外のもの」として捉えること、と定義される。
といって人は、何が違い何が同じかと他者と照らし合わせることで、「自分」というものが分かるもの。自らのアイデンティティを立たせるために、常に「他者化」している。それを証明したのがフランスの人類学者のレビ=ストロースという人。
それまではね、その人自体に絶対的にその人というものを成り立たせる何かがあると考えられていたの。でもレビ=ストロースはね、人と人との「関係」があるのみだって言ったのよ。
そしてその「他者化の過程」というのが、「権力」と深く関わっていると言ったのがフランスの哲学者フーコー。
政治やビジネスでの「他者化」は、まさしく自らとは違うものに言及し、それらを「下げる」ことで、自らもしくは自らのグループを「上げる」といった「階層」を作り出すことがある。それは時に人種や社会的地位やジェンダーなどの「差別」とも深く関わるもの。
自分の政策もいいけれど、あの人の政策もいいです、自分の商品もいいですが、あちらのもいいですね、なんて言っていたら、確かに選挙になりはしないし、ビジネスにもなりはしない。
でもね、これがこういう点でより優れている、あの政策はこの点で欠けていると示していくのは時に必要なのだけれど、その行きつく先は、「クラス全体が良くなること」、そのために「他者化」を用いるということ。「勝つ」こと自体に、目標があるわけじゃない。ましてやこのグループは自分、あのグループはよそ者とクラスを分け隔てるためでもない。
などとちょっと熱くなって言うものの、長男の頭の中、もうとにかく「勝つ」ことで一杯。(笑)
選挙当日、迎えに行くと、「面白くない顔」をしている。何でも、ポスター作り、演説練って準備万端の三組の他に、その場での飛び入り参加が許され、男の子と女の子のペアが壇上に。
そして何と!その飛び入りの二人が、大統領&副大統領に選ばれたと。
呆然と肩を落とす三組。
何がよかったのだろう? 政策的には、「週末は宿題課題無しにしよう」と言っただけだった。そしてその政策は他の候補者や自分のものにも含まれていた。
「新鮮さ」が目を惹いたのかな。突然飛び入りした勇気と。あと男の子と女の子に別れていたのも両方の票を集めてよかったんじゃないか。
それにしても、一生懸命準備してきた対戦相手に敗れたならまだ納得もできるけれど、何だかなあ。
ぶつぶつと自分なりに分析する長男。
ママの言ってたさ、誰が勝っても負けても「クラス全体が良くなっていくことを目標に」というの、大統領側もだけれど、でも選ぶ側も、その場の雰囲気や面白可笑しさだけじゃなくて、クラス全体の未来のことを考えて票を入れる必要があるよね。まあ、未来ってったって、あと一ヶ月で中学卒業なわけだけど(笑)と。
うん、でも今回は最後の最後に立ち上がったその勇気が、クラスのリーダーに必要な姿勢と見なされたということもあるかもしれないね。
思い通りにいかない現実と、悔しさと、様々学んだ大統領選プロジェクトのようでした。
体験に感謝です。