ヨーグルトスムージーを手に、泣きべそ顔で言い張る次男四歳。
冷蔵庫に見つけてそれはそれは嬉しそうに手にしたものの、最後の一つ。私昨日飲んでないよ! 私なんて三日ぐらい飲んでないもの! 私なんて十二個入りの箱を二箱買って以来一つか二つしか飲んでない! そんな声が周りから。
「じゃあ皆で分けて飲みなさい」と言ったところ、この次男の反応。
五人で分けると、確かに「おちょこ」くらいの大きさの器に半分程になってしまいます。(笑)
スムージーを握り締め、いよいよ泣き出しそうな次男の様子に、「まあ、私はいいわ」と言いだす子もいます。その様子を見て、ますます、「一人で飲む!」が強くなっていきます。
「あなたも飲みたいけれどね、皆も同じくらい飲みたいのよ。あなたは毎日のように飲んでいるけど、しばらく飲んでない子もいる、最後の一つは皆で分けようね」
という私の言葉に、うわ~んと泣き叫ぶ次男。床に突っ伏して足をばたばたさせ。
「ぼ、ぼく一人で飲むの~、の、飲みたいの~、シ、シェアしたくないの~」しゃくりあげます。
泣き叫びのピークから少しおさまりつつある頃、傍に座り、「おいで」と言うと、泣きながら膝に乗ってきます。抱っこして背中とんとんしてユラユラ揺れて。
思い通りにならない!と泣き叫び癇癪を起こす。そんな時、「もうなんて我がままなの!」とこちらもき~となって、と何度も繰り返してきたんですが、
1.こうした方がいいのよと(なるべく静かに落ち着いて)伝える
2.やり切れない感情を出させる
3.少しピークが去った頃、抱っこゆらゆら
この流れが、一番すんなりとおさまります。
気持ちが落ち着くと、私の膝から立ち上がり、姉に「分けて」と渡す次男。
リミットを示し、感情むき出しの反発を受け、こちらも感情むき出しモードにスイッチ、と引きずられることなく、リミットは動かさずとも、その子の苦しい辛い感情に共感し包み込みます。すると、次第に落ち着いて、そのリミットを受け入れるようになるんですね。
この流れは、子供が大きくなっても、有効だと感じています。「抱っこゆらゆら」は、カフェに出かけたり、美味しいものを部屋に差し入れたり、ハグだったり。
「条件を付け」と「無条件の愛情」、その一見相矛盾して見える働きかけのバランスが、「子育ての鍵」とつくづく思うのですが、これが一つの具体的方法なのだろうと感じています。
それは、「利き手でない方で導き、利き手で抱える」ことでもあるのかもしれません。より力の入る利き手で、常に抱えているということ。