撮影スタッフが帰られてからも、
編集を通して生まれた疑問点に答えるなど、
メールやスカイプや電話で、
ちょこちょこと話す機会があります。
スタッフの皆さん、
一つ一つの疑問点に本当に丁寧に向かわれていて。
そのできる限り「事実に忠実」であろうと尽力される様子に、
ただただ驚いています。
そしてまた、
この「事実」というものの難しさも目の当たりにしていて。
今までの歩みを振り返り、
どうしてそういうことをしたのか、どうしてそういうことになったのか、
スパンと一筋縄で説明できないことも多く。
思いも感情も移り変わり、長い目でみたら矛盾していたり、
一つの言葉で表してみても、そうじゃないと思う面もたくさんあったり、
個人と一般論が混ぜこぜになっていたり。
結局、
そういう面も確かになきにしもあらず、
という要素の中で、
短い時間に多くの方々の胸にストンとくるようなものが選ばれるのですが、
それもやはり、
「事実のほんの小さな一側面」なんですね。
一人の人が描かれるとき、
それが例え私のようにどんなに名も無き小さな者であっても、
この「事実のほんの小さな一側面」の背景には、
より複雑な心理、情動、考えなどが膨大に渦巻いている。
そのことを、どんな場面や情報に触れるにしても、
心に留めていこう、そう思ってます。
そしてそれは、
子育てについてもつくづく思うこと。
その子がどうしてそういうことをしたのか、どうしてそういうことになったのか、
その背景には様々な要素が渦巻いている。
その中から、周りの大人が、
「その子を描くもの」として何を取り上げていくのか。
子育ての秘訣の一つとして、
「子供の行為言葉をできるだけ善意に解釈する」
というのを聞いたことがあります。
小さな子が持っているクレヨンを取り、目の前で絵を描き始める子に向かって:
「人のもの取ったらだめじゃない!」
より、
「どうやって描いたらいいか教えてあげようと思ったのね。
その子困ってたものね。
優しいね。
突然クレヨン持ってったら、小さな子びっくりしちゃうから、
貸してねと声かけてあげてね」
と言葉がけする。
白紙に近い子供達、
周りの大人が「どう行為を意味づけ」していくかで、
その子自身が作られていくという面があります。
その子をよりよき方向へと導くことに、できる限りフォーカスしていけたら。
日々心に留めていきたいです。
番組の色、いかに視聴者を楽しませるか、
そこへ徹底してフォーカスされるプロの方々。
その姿勢に多くを学びつつ。
スタッフの方々とのやりとりを通し、
今までじっくり考えることなく通り過ぎてきたことに、
改めてしっかり向き合う整理の機会になっています。
感謝を込めて。
楽しい番組になりますように!
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