話し場

話し場:子育てをきつくするもの、それでも立ち上がり笑顔で歩いていくために

決まったトピックや本について話すという集まりを、今まで何度かしてきたのですが、先週から再び「話し場」というのを始めることになりました。

主に子育てに関するトピックについて、集まって話す場。こちら「ユア子育てスタジオ」に、その話した内容を報告していきます。

もし、身近な周りの出来事、悩んでいること、深めていきたい興味など、「話し場」で話してみたらいいんじゃないか、というようなトピック/ テーマがありましたら、どうぞこのページ左端の「問い合わせ」またはコメント欄等でお知らせください!

何らかの答えが見つかると言うわけにはいかないかもしれませんが、ああその気持ち分かる! ふ~んそんな見方もあるかなあ、などなど様々な意見に触れる機会になるかもしれません。

今のところ月一回ほどの頻度を考えています。

それでは話し場、

テーマ「子育てをきつくするもの、それでも立ち上がり笑顔で歩いていくために」。

話者:
アン(七歳女子の母)
ジュン(八歳女子&五歳男子の母)
マイコ(管理人。十四歳から五歳まで二男三女の母)

溢れる情報に迷いながらも

マイコ: 子育てって、人類が始まった何百万年も前からされてきた営みだけれど、「現代の子育てほどきついことはない」っていう声が聞こえることあるよね。その理由の一つに、核家族化や少子化が進んで、子育て体験を全く経ることなく、突然子育て生活に放り込まれてしまうからというのがあって。私も長男が生まれて、どう抱っこしたらいいのかオムツ替えたらいいのか全く分からなくて途方にくれたの覚えてる。体験で培われる感覚的な蓄積なんて何も無くて、育児書片手に必死で赤ちゃんの世話してた。

大家族だったりコミュニティーが密な昔なら、近所に頼れる人などもいたわけだけど、今はどこもかしこも「都市化」が進んで、身近にアドバイスしてくれる「子育て体験豊富なおばちゃん」がいないことの方が多かったり。マンションの密室に一日中分けも分からない赤ちゃんや子供と向き合って過ごすというような状況、そりゃきついと思う。子育てって、どっぷり慣れ親しんだそれまでの世界とは、全く違う時間が流れているもの。

アン: きついよね・・・。今朝もさ、朝はこれしようねって決めてあることしてない娘に向かって、「早くしなさい!」って切れること四回。でね、仕事に行ってからも、どよんとして。

ジュン: 分かる。自己嫌悪で落ち込むんだよね。

アン: そう、ああ怒らなきゃよかった言わなきゃよかったってね、悩むの。でもね、私達の母親の年代ってさ、「早くしなさい!」程度でね、こんな悩んだりしなかったと思うのね。親はこう、子供はこうっていうのがもっとはっきりしてて。言い放って迷い無し、で、子供もああそういうものかと迷い無くて。

マイコ: ああ確かに、子供って親が揺れてるの分かるんだよね。

アン: うん。でね、迷ってばかりなのよ。ああこう言っちゃったけどよくなかったかな、あんなことしてこの子の人格形成に変な影響与えちゃったんじゃないかとか心配したりね。もうね、誰か! 一体何が正しいのか、お・し・え・てー!って叫びたくなることあるよ。

マイコ: といって本屋の戸棚見回せば、これがまたありとあらゆる子育て本に溢れてて。

アン: もうね、溢れる情報に溺れちゃうの。

マイコ: こちらで言えば昔は「スポック博士の育児書」くらいしかなくって、皆が皆それに従っていたんだけど、今はダイエット本に次ぐ育児本大盛況時代。

アン: そう。話ちょっとずれるけど、「文学作品名作がすぐに分かる本」なんていうのがあるじゃない。この「名作」はこういう部分が素晴らしくてこういうところに感動するんですとかいくつもの作品について書いてあるの。でもね、それって違うじゃない?

マイコ: 文学って、没頭して読みふけって、何度も読み返したりする部分があったりして、言い回し覚えちゃったり、登場人物の仕草想像したり、余韻に浸りながらじわじわと自分の中で「名作」になっていく。ここに感動するんですなんて誰かに教えてもらうものじゃなくてっていうことだよね。でも忙しいんだよね今の人達って。そういう「贅沢な時間」ってなかなか持てない。

アン: でも子育てもさ、そんな「三分で分かる」なんていうのって違うじゃない。

マイコ: 「良い子に育てる十の方法」なんかも確かに一面当たってるだろうけど、あくまでも一面であって。

アン: それだけに従ってたなら何だかとてもつまらないというか。

マイコ: 日々あーでもないこーでもないって迷いながら、ぶつかって失敗して悩んで、それでも少しずつ、かすかにああかなこうかなって見えてくる。そうして徐々にじわじわと「自分とその子の子育て」になっていくのかもしれないね。

アン: ね。

マイコ: 私ね、そんな風に迷いながら、それでも子供と共に寄り添って歩いていこうとする親の姿を見せていくこと、それでいいんじゃないかなって思う。

ジュン: そうだよね、そうしているなら子供はそんな変なことにはならないのかもしれないね。だってその子のことがどうでもいいんなら、初めからこんなに悩まないんだもの。いつか本人達大きくなって、何だかよく分からない目にもあったけど、あああんなに思ってくれてたんだなあって思う日が来る。

マイコ: 体験の積み重ねも無くて、これが正しいというような確固とした答えも無い中で、時に怒鳴っちゃたり、後悔しちゃうようなことしても、そうして試行錯誤しながら少しずつこうしたほうがいいかなと前へ進もうとしている姿を見せていく。

どこか高いところから全て分かっているように示してくれた迷わない昔の親に対して、あちらこちらぶつかりながら一生懸命少しずつこちらの方がいいんだよと示そうする迷ってばかりの現代の親。でもね、子供達見ていると、ああ親も色々悩んでそれでも立ち上がって、小さな一人の人間なんだなあって、思春期ぐらいに思うようになるんじゃないかなって。それで子供も親をスムーズに超えていける。そこに「それでも何とか子供に寄り添って歩いていこうとする」親との思い出がたくさんあるなら、また深く新しい関係も築いていける。

「委ねる」ということ

マイコ: 何年か前にね、六人の子供さんを育てたおばあさんと話していた時にね、その子供さんの一人を良く知っていて、色々なことができてしかも温かくて素敵な人だったから、「どうしたらあんな風に育てられるんですか?」って聞いてみたの。

そしたら、「あなたね、私が何かをしたっていうことじゃないのよ。六人の中にはね、問題ばかり起こして今でも社会的にはとても立派とはいえないような子もいる。同じようにしても、たまたまあの子はそうなったけど、この子はこうなったのよ。いい子も大変な子も私の子供、私にできるのは、そう変わらず家族であること」

アン: ああ分かる。こんな親なのにこんないい子、逆に、こんな良さそうな親なのになんでこんな子が、ってあるよね。

ジュン: あるね。

アン: 子育てって、こうしたらこういう大人になるなんて一筋縄でいくものじゃないんだよね。

マイコ: うん、それでも何とかコントロールして思うように育てられるんじゃないか、そう必死になってる自分がいて。このおばあさんと話してね、何だかふっと力が抜けたというか。

アン: コントロールを超えたところに、どうしようもなかったり、ありがたかったりすることがあって

マイコ: 何ていうか、そういった「委ねる」みたいな前提のないところで、私が全部何とかしないとと抱え込んで苦しくてしょうがなくなってるの。

できる限りのことをして、あとは委ねる、そんな心持ちでいられると楽になれるね。

 

比較のバランス

マイコ: 周りの子と比べて、ああどうして家の子は、とか苦しくなったりするよね。

アン: 周り見て、こんな素晴らしい親にこんな非の打ち所の無い子供!と驚いて、翻って自分の現実を見て落ち込んでね。

ジュン: でも本当はさ、非の打ち所の無い親や子供なんていないんだよね。そう見えるだけで。みんな何かしら欠けてて。

マイコ: うん、隣の芝は青く見えちゃうということあるよね。でも確かにね、周りを見回しても、もうずばぬけていろんなことができちゃうものすごい人達とかいるの。

ジュン: いるかなあ?

マイコ: 多分ジュンちゃんと私はね、次元の違う話をしているんじゃないかと思う。ジュンちゃんはもっと深いところのことを言っていて。私は世間的なことを言っていて。深いところでは、確かに皆どこかしら欠けていて上も下もなくてね。

世間的には、ああ元々のところがもう初めっから全然違うんだろうなとしみじみ思うような人ってね、周りにいる。でも、それはもうしょうがないんだよね。元々皆違っていて、皆が皆その「すごい人達」を目指す必要なんて全然なくて。今与えられているもので精一杯やっていく。周りと比較しててもしょうがないんだよね。

アン: それはさ、周りとは比較せずに昨日の自分と比較しましょう、とかそういうこと?

マイコ: うん。

アン: それって確かに綺麗だけど、違うよね。あの人に勝ってやるって思うものじゃない。それがあるからまた楽しかったり。

マイコ: 確かに競争があるから、切磋琢磨してよりいいものが生まれるんだよね。でも負けたときに、悔しくてしょうがないけどよりいいものが生まれたと思える自分であるかだよね。中心にあるのが、「自分が相手に勝ってやる」だけだったら、それは苦しくていずれ行き詰るんじゃないかな。中心は、昨日の自分に勝つためで、その周りに相手に勝つ、切磋琢磨を楽しむというようなバランスじゃないときついよ。

ジュン: それは私もそう思うなあ。

アン: バランスねえ。

 

怒りの観察

ジュン: ここ数日ね、怒らないようにしてみてるの。そうしたらね、子供達のびのびして、表情も生き生きして、夫も何だか穏やかでね、家の中の雰囲気むちゃくちゃいいんだよね。子供達、いつもは「しなさい!」と声張り上げないとしないことなんかも、いつのまにか自分からしてたりね。

アン: ああ私もね、二週間ぐらい、そんな夢のような日々を送ったことがある。もうね、ああなんて穏やかで幸せな日々なんだろうって思ってね。でね、二週間後に来たのよ、反動が。ものすごい爆発連発してね、それからもうものすごいダウンスパイラルだった。

ジュン: これは、そういう一時の夢のような時なのかな・・・。

皆:(笑)

マイコ: 私も、下の二人には、もうここ何年かそう大して怒らない日々が続いてて。どうしてかなって思うと、さんざん上三人で怒ることを繰り返した末、どんな時に爆発するかシミュレーションができるようになってるからなんだよね。だからね、怒らなくても実はうまく回っていく、私もそう思うよ。上の子達はまだまだ想定外のことしてくれて、どか~んってなることあるけど。

アン: ピアノの練習がね、家では互いに怒りのひと時になりやすいんだけどね、娘が癇癪起こして、私も負けじと爆発してね。それでこの前話し合ってみたの、どういうことをすると嫌なのか、「弾いてる途中にここ違ってるとか直してとか口挟まないで」とか言うのよね。忘れないように書き出して貼っておいて。生活面でも、どうしたら皆が爆発とせず気持ちよく暮らせるか、アイデア出し合って書き出したりね。そしたら、やっぱり怒る場面も少し減るんだよね。

マイコ: 爆発した度に、どういう状況だったかよく観察して書き出したりしておくと、予めそういう状況を回避したり、きたきたと心構えができたり、怒らずすむようになるよね。

ジュン: あとね、怒りたくなる時ほど、近くに行って穏やかに静かな声で話してみると、案外子供達も言うこと聞いたりするんだよね。

マイコ: 確かに! それね、ウォルドルフ(シュタイナー教育)の先生から学んだことある。言うことを聞いて欲しいときほど、ささやき声にしていくの。遠くから叫んでじゃなくて、その子の傍でもう言葉は用いず身体で示したりね。

私もそう言いながら、ちょっと最近どしんと座って叫んでの指示が多かったなあっと反省。長女なんか、「ママ、叫ぶ前に外に聞こえるから窓閉めてね」って閉めて歩いたりね。(笑)

でもがつんと怒ることが必要な時っていうのもあるよね。でも意識的に今は怒っておこうというのと、感情に任せてどか~んとなるのと違うんだろうね。後者を「叱る」と言って。

ジュン: 怒ると叱る。何回か「怒る」を繰り返して、その状況を観察して、「叱る」にしていけるといいね。

本当に必要なのは実はシンプルなこと?

アン: この前さ、漫画偉人伝買おうと娘と見ててね、アンネ=フランクにしようと思ったの。そしたらね、エリザベス女王がいいって本人が言うの。何でかっていうと、表紙の絵がね、きれいなドレスを着てるからって。

元々ね、ひらひらドレス着たプリンセスとかね、いかにも女を演出したようなものって私はあんまり好きじゃないのね。「女らしさ」のステレオタイプ刷り込みというか。

でね、ついつい説教みたいなものを始めちゃったのよ。そんな「女だからピンクのドレス」みたいな固定観念のおかしさとか七歳の子にとうとうね。

マイコ: ひらひらドレス、好きなだけ楽しませてあげた方がいいと思うよ。どうせ一時のことで卒業するんだし。私ね、親がちょっと変わってて、まさしく「男らしさ・女らしさ」というようなステレオタイプに徹底して反対するような家だったのね。車に「男女雇用機会均等法を!」」というシールが貼ってあって、小学校の先生が教室で「君は男の子なんだから」「もっと女らしくしなさい」なんてこと言おうものなら、翌日連絡帳に抗議書いて提出だったから。

それで私はね、まだ自分の頭では何にも分かってないまま、教室で今日先生がこんなこと言ってたひどいよねえと親に報告したり、保育園の頃から、ピンクやプリンセスを徹底して嫌って、戦闘レンジャーとか男の子のキャラクターを好きな「振り」してたの。男の子っぽい服を好んで着るようにして、小学校高学年まで初対面で「女の子」に見られたことなかったもの。親を喜ばせるためにね。でもね、心の奥ではね、ひらひらのピンクのドレス着て遊びたかったのー。でね、ちょっと屈折した、思春期でそれが爆発してね。

アン: ああだからあの番組でやってた「男性不信」!(笑)

マイコ: だからそれはー。(笑)  言いたいのはね、自分を振り返って、まだ体験もほとんどない子に、理詰めで先回りしてあれこれ詰め込まないほうがいいんじゃないかなってこと。ジェンダー的なことや政治的なことって小さな子に本当には理解なんてできるわけないじゃない。せいぜい私みたいに親の顔色を見て、自分の本当の好みを抑えて必死で気に入るような答えを示すだけ。でも、アンさんの娘ちゃん、「ドレス着てるからエリザベス女王がいい」ってはっきり言うんだから、安心だよね。

私ももう全部いい思い出で、こうして子供にどう接したらいいか少しヒントをもらえたこと、ちょっと変わった親だったけど大好きだししっかり育ててくれたことに感謝の気持ちしかないんだけどね。

アン: ついつい理詰めをしてるんだよね。先回りでなくて、その子の頭で答えを出すように促していけたらいいんだけどね。

マイコ: 子育てってね、その子が伸びよう伸びようとするのを邪魔しないことだと思う。子供が大きくなるにつれ、振り返って、結局手出し口出しあまりせず、子供本人が自分自身で動き回って探求できる環境を整えてやることが重要なんだなあってつくづく思う。

ジュン: 子育てに本当に必要なことって、実はとてもシンプルなことなのかもしれないね。愛情とか、うーんちょっと違うな、愛情というより「アテンション」かな。アテンションさえあれば、何だかんだ言ってうまくいくんじゃないかな。アテンションがないと、色々問題も出てきて。

マイコ: うん、一日に少しでも目を見てその子の言うことしっかり聞いてあげる時をもつ、それだけで随分と変わってくるね。

「実はとてもシンプル」、そうなのかもしれない。私が思うのは、日々の繰り返しのリズムと、(きちきちした日課とかでなく、朝昼晩ごはんがあってこの時間には起きて寝てといった大まかなリズム)、ジュンちゃんの言う目を見てしっかり聞くひと時と子供がママ/パパ、私/僕と一緒にいて嬉しそう楽しそうと感じられる時、そして寝る前の感謝とハグ。長い時間ということでもなくて、一日十分でもね。後は、その子がその子自身になろうと探求していくことのできる環境かな。

遅くなっちゃったね。そろそろ終わらないとね。

皆: ありがとー。楽しかった。また次回ね!

 

 

まとめ:

・体験の積み重ねもなく溢れる情報に囲まれ、迷い、それでも子供に寄り添い日々歩き続ける親の姿を見せる、それでいい。

・こうしたらこういう大人になる、子育てはそんな一筋縄ではいかないもの。親のコントロールを超えたところに、どうしようもなかったり、ありがたかったりすることがある。できる限りのことをして、あとは委ねる

中心に、「昨日の自分に勝つため」を据え、その周りに「相手に勝つ」、切磋琢磨を楽しむというようなバランスで。

怒り爆発した度に、どういう状況だったか観察して書き出したりしておくと、予めそういう状況を回避したり、きたきたと心構えができたり、怒らずすむようになる。

怒りたくなる時ほど、その子の近くに行って穏やかな声でささやき、身体を使って示してみる

・まだ体験もほとんどない子に、理詰めで先回りしてあれこれ詰め込まない

・子育てに本当に必要なシンプルなこと:日々の繰り返しのリズムと、目を見てしっかり聞くひと時と、子供がママ/パパ、私/僕と一緒にいて嬉しそう楽しそうと感じられる時、寝る前の感謝とハグ。一日十分でも。後は、その子がその子自身になろうと探求していくのを邪魔しない環境

 

 

 

とにかく話は尽きず、ここに載せ切れなかった内容も含め三時間近く話し続け、気がつけば夜九時過ぎ。次回から、もう少しテーマを狭く絞るといいねと頷き合い。

 

皆でご飯作って食べて。
050
子供も大人もお腹が落ち着いた頃、話し場。

見て見て!というから振り向くと、
巨人がいたり。
052

夜もふけて裏庭で火を焚き、マシュマロ焼き。
053

 

こんな感じでこつこつと回を重ねていけたらな、そう思ってます。
話し合いってやっぱり色々考えもまとまり、改めてそうかあと思ったり、いいですね!

長文読んで下さりありがとうございます!

 

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