ファミリー・ディナー

若さの秘訣とは?と家族で話し合い

002昨夜のファミリーディナーでは、「若さ」について話し合いました。
(毎週金曜日の夜は、家族で知恵やバリューについての話をしています。我が家は今のところ特定の宗教に属すということはないのですが、時に宗教的テキストからも大いに学ぶことがあると思っています。)
 
この日は、ラビLord Jonathan Sacks氏によるモーセについてのテキスト「On Leadership: Staying Young V’Zot HaBracha (Deuteronomy 33-34) 」 を基に。
 
 
おばあちゃんおじいちゃんになって、肉体的には老いていったとしても、生き生きと若々しい人っている。
 
今日のテキストでは、百二十歳で亡くなったとされるモーセがいくつになっても若々しくエネルギッシュなままだったと言われるのは、どうしてかについて書かれてたね。
 
それは「理想を妥協しなかったから」と。
 
『トラ』(ユダヤの聖典、キリスト教では『旧約聖書』)には、モーセのチャレンジ続きの波乱万丈な人生が描かれているけれど、理想を妥協してしまうような難しい状況に山ほど出会ってる。数々の奇跡を目の前にし、出エジプトが実現し、奴隷から解放され、それでも砂漠をさまよいつつ、困難にぶち当たると民の間に文句は溢れ、「黄金の牛」を「神」と崇める人々。エジプトを出たものの、目的地に四十年たどり着かず、結局モーセ自身はたどり着く前に亡くなって。
 
それでも、モーセは理想を捨てず、初めから終わりまで同じパッションを持ち続けていたと。自身の生きてる間には理想を成し遂げられないだろうと、次の世代にどう成し遂げるかを教えて。
 
歴史を振り返っても、失敗しても失敗しても何度も何度も立ち上がって、理想に向かって突き進んできた人々の群れがあるね。
 
 
 
Sacks氏自身の体験も書かれてあった。ラビになりたての頃、必要とあればボランティアでどこでも飛んでいって、儀礼や祭りを手伝い、空っぽに近いシナゴーグでスピーチして。限界ぎりぎりの無理をして足を運んでも、多くの場合感謝の言葉もなく当たり前ととられ。ある日、一人のラビに「君は理想主義者なんだね。まあその内どうなるか見ててごらんよ」と皮肉を言われたとも。
 
Sacks氏の「理想を捨てた人々」についての以下の描写、ああ私もそちら側にいることあるなあ、としみじみ心に響きました。そして、皮肉っぽい態度がクールというような風潮もあるティーンの子らも、何か感じることがあったようです。きつい表現もありますが、いくつになってもエネルギッシュにコミュニティー活動を続け、ユダヤコミュニティー外に対しても思いやりを持った中立的な姿勢を持つ氏の言葉には重みがあります。
 
「現実の厳しさ難しさにぶち当たる内に、理想を捨て、理想とは現実の硬い石に沈没する運命にある若者の幻想に過ぎないと思い至り。今していることに心はなく、ただ惰性の動きがあるだけ。
 
大きな期待から始まったものの、人生は易しくないと発見し、期待するようには行かないと気がつき。努力は障害に遮られ、計画は脱線し、認められず、値すると思う価値も与えられず。
 
そうして、他者を小さくすることで、自身が大きくはないことの慰さみにし、他の努力を笑い、他者の理想を馬鹿にし始める。自分達の失敗を他者のせいにし、他者の失敗にフォーカスし始める。
 
ふと、もっとうまくできたはずだとため息をつき。確かに、もっとうまくできたのだろう。ではどうしてできなかったのか? それは諦めたからではなかったか? どこかで私達は成長するのを止めてしまったからではなかったか? それは生きていると言えるのだろうか。
 
パッションなしに、何も成し遂げられやしない。自身がインスパイやーされていないのに、どうして他者をインスパイヤーなどできるのか。
 
ハードで長いからと言う理由で、旅をやめてしまわない。旅とはいつもハードで長いものなのだから」
 
というような内容。
 
理想を持ち続けることが人を若く保つ、覚えておこうねと話し。
 
 
 
 
その後、テキストにあった、104歳のおばあさんの「いくつになっても、何か新しいことを学ぶのを恐れないこと」という言葉から、身近なおばあさんおじいさんの話になり。
 
夫方の曽祖父は、100歳になり11人の子供がいるのですが、後妻との間に最後の子供ができたのが71歳の時! 90歳でそろそろタバコを止めた方がいいかなと禁煙し、病院で検査しても健康そのものだそう。今でも現役でビジネスを続け、毎朝職場に歩いて通っているのだそう。帰宅すると必ず三十分間自室にこもり、大音響でクラッシック音楽を聴くことを何十年も欠かさず続けているとか。毎日適度に身体を動かし、ルーティンのある生活がいいのではと親戚の方々。また曽祖父が、気持ちを乱すのをほとんど見たことがないとも。
 
二ヶ月ほど前に会ったネイティブアラスカンの八十歳になる「母」、その記憶力と身の回りの物事へのしゃきしゃきとしたシャープさに舌を巻いたのだけれど、「姉」達が言うには、クロスワードパズルなどブレインパズルを毎日楽しんでいるのだそう。
 
近所の八十近いおばあさん、お肌つやつやで毎日はきはきと散歩して。毎年春になると家の周りは花に囲まれ、裏庭では野菜作り。今年の夏裏庭を耕し野菜作りがいかに大変かが身にしみた長男、あれだけの花咲かせたり野菜の世話したりするのむちゃくちゃ大変だよね・・・と。ママもねえ、この家に引っ越してから、少し花を植えるのさえ諦めてるし・・・と私。年取っても生き生きしている人って、「めんどくさい」っていう言葉が似合わないかも。何かしないのでも、「めんどくさい」が理由じゃなくて、他にもっとしたいことがあるからという理由そうだよねと頷き合い。
 
「あのね、長生きの秘訣とかないのよ。生きる人は生きる、何しても早く死ぬ人は死んじゃう、そんなこと私達にコントロールなんてできやしない」と言っていた長女も、「肉体的にどうこうというコントロールはできなくても、気持ちを若く保つとか、気持ちを老いさせるとか、そういうことはできるのかもね。で、そういうものも全体的な生き生きさに関係してくるのかな」と。
 
 
 
 
若くある秘訣とは? とこの夜ひとまず家族で整理した要素:
 
理想を持ち続ける

新しいことに向き合うのを恐れない

適度に身体を動かし ルーティンのある生活 気持ち穏やかに

脳を使うのを楽しむ

「めんどくさい」より「他のことをしたいから」という前向きの選択をする
 
 
 
八十歳でも若いマインド、二十代十代でも老人のマインドっていうことあるね。
自身を振り返っていこう。
 
そう十代の子達と「若さ」について話し合った夜でした!
 
 
 
皆様どうぞ引き続きよい週末を!
 
 
 

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