ギフテッド教育

ギフテッドの子の支援、偏りを生かす&日本での試み

「ギフテッド」に関する検索でこのウェブサイトに来てくださる方も毎日何人かいらっしゃり、またその中には相談のメールを送ってくださる方もいます。
 
日本ではまだまだ新しいコンセプト。学校生活に馴染めず、集団にフィットできず、辛い思いをしている、そんな中、ネットに流れる「ギフテッドの特徴」というものに、我が子がまさにぴたりと当てはまるんです、多くの方がそうおっしゃります。何ら問題なく今の学校生活に馴染めているのならば、わざわざ情報を求めたりしません。やはり問題にぶち当たるからこそ、ネットをサーチし、情報を求め、何とか解決できないかと動き、そんな中で「ギフテッド」という言葉に出会う方が多いのだと感じています。
 
我が家の5人の子供達が「ギフテッドプログラム」にお世話になり9年近く、それでも「ギフテッド」という言葉を聞くと、私自身いつも雲を掴むような気持ちがします。それはそもそも、まずはどういう子が「ギフテッド」なのかという定義が揺れ動いているからです。定義としては、グローバルには定まってもいません。そしてもう1つには、その審査方法というのがあまりにも不十分だと感じるからです。
 
米国で審査に用いられているのは主に「IQと学力」。確かにそれぞれの州によって審査の仕方も多少異なり、IQというものではかることができるのは、言語能力や数学的論理的能力だけであるから、他の審査方法を見ていこうという動きもあります。それでも実際今のところ、「高IQ」や「学力の高い子」を、「ギフテッド」としてプログラムに振り分けている場合がほとんどだと思います。
 
私自身は、「ギフテッド」とは、例え「知的ギフテッド」であっても、必ずしもIQや学力に表れない場合もあるだろうと感じていますが、ひとまず今日は、こちらで「ギフテッド」とされる子供達を9年間見てきて思うことを書いてみます。
 
 
 
まずは、巷に溢れる「ギフテッド」のイメージと、現実とのギャップの大きさです。現在32州で何らかの「ギフテッド」教育を施し、ギフテッド教育の歴史のより長い米国でさえ、「ギフテッド」コミュニティー側から、「ギフテッド」というものがいかに誤解されているかという声が発信され続けています。
 
「ギフテッド」と言っても本当に多様です。表に出てくる十代前半で有名大学にいくつも受かり、様々なコンテストで優勝する、といった子ばかりではありません。するすると勉強ができる子もいれば、勉強でつまずく子もたくさんいます。ギフテッドとされる子が学校をドロップアウトする率も20パーセントと言われています。
 
 
 
 

ギフテッドの子供達の難しさ

ギフテッドの子供達の難しさをざっと整理してみました。こうした難しさが、ギフテッドの子が勉強や様々な面でつまづいてしまう原因となり、また日本での親御さんが悩まれるように、学校生活へのフィットを難しくしているのだと思います。
 
・過敏さ
音や光への不耐性など知覚的なものから心理的なものまで。言葉だけでなく、微妙な表情や仕草などからも他者の心の動きを読み取ってしまうことも。針が落ちた音を稲妻のように感じ、そよ風を台風に感じてしまうところがある。例えば知り合いの中には、自分が先生に嫌われていると毎晩泣き続け、学期途中にクラスを変わらざる得なかった子もいます。
 
・完璧主義
校内コンテストで1位になった子が州大会で3位になり、もう一生コンテストには出ないと泣きじゃくったり。実際その子はそれ以来、飛びぬけた才能があるにも関わらず、コンテストには一切参加してません。
 
・極端さ
何をやっても極端になりがち。実験に没頭して次の課題に移れなかったり、A4一枚の課題に10枚提出したり。寝食忘れてゲームにはまり、日常生活がままならなくなり、学校を辞めた子も知っています。
 
・飽きやすい
と、あれほどはまっていたと思ったら、周りが驚くほどぴたりと興味を失ってしまうことも。自分の中では、何か納得したんでしょうね。
 
・学び方の違い
さらりと表面的な知識だけでは、納得できない。全体像を見ないと目の前のことに向かえない。疑問が溢れて寄り道ばかりしてしまう。人に導かれるのでなく、自分のペースで進みたい。
 
・自分の興味あること以外は全くやる気が出ない
やれと言われても鉛筆を持つ気にさえならない。白紙で提出したからって、だからどうなの。
 
・できる時とできない時の差が大きい
指導どおりではなく、自分で様々なメソッドなども試すことから、失敗するリスクも大きい。
 
・発達に偏りがある
「非同期発達」。7歳の子が、中学生レベルの読解力があり、5年生レベルの算数の問題が解け、それでも周りのお友達を思いやるといった社会面は幼稚園レベルだったり。9歳の子が大人の本を理解できるのに対し、書いて表現する力は低学年レベルだったり。
 
・凸凹が激しい
できることとできないことの差が激しい。算数ができるのに、国語がさっぱりだったり。英語はできるのにサイエンスが全くだめなど。
 
 
 
 
もちろん、こうした特徴もあまり見られず、様々なことがバランスよくでき活躍していく子もたくさんいます。それでも、こうした特徴はギフテッドの子によく見られるとされ、私自身も実感しています。
 
何につけても極端になりがちで凸凹もあり、その上他者のマインドの動きなどにも超敏感だったりすると、自分のできないことや、苦手なことが突き刺さり、そこへ完璧主義が追い討ちをかけ、もう自分はだめだめだと立ち上がることすらできなくなってしまう。社会の隅でひっそりと、誰の目にも留まらないことをひたすら望み暮らしたい、ともなってしまったり。
 
私自身、現在日本で学校にフィットできなかったり、ドロップアウトしたり、ひきこもりや不登校となっている子の中に、「ギフテッド」の子ってたくさんいるんじゃないかと思っています。
 
 
 
こうした特徴を持つ子が、現実社会で生きていくためのサポートとしては、やはり凸部分をできるだけ伸ばし励まし自信をつけ、同時に凹部分をカバーできるスキルを身につけさせる。そして完璧でなくていいと繰り返し伝え、徐々に厳しい環境にも慣れさせできるだけ「図太くしていく」、そういうことなのだと思います。
 
そして何度も繰り返し言いたいのは、こうした「難しさ」とは「強み」にもなり得るということ。彼ら彼女を見てきてしみじみ思うのは「諸刃の刃」なんだなということです。
 
敏感さ故に、苦しみも深いけれど、洞察力も深まる。
 
極端さ故に、周りとフィットできないかもしれないけれど、飛びぬけた成果を出せるかもしれない。
 
自分のやり方に拘るが故に、反感を買うかもしれないけれど、他の人が辿り着けないところへ行けるかもしれない。
 
凹があるから、凸があるのかもしれない。
 
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日本での試み 

日本でも、ギフテッドという定義や審査方法が定まらない以上、とにかく今学校で苦しい思いをしている子を集め、その凸を引き出し伸ばし、凹をカバーできるスキルを身につけていく、そんな動きがどんどん出てきたら、そう思います。そして昨今、そうした試みも様々出てきているように感じています。
 
・既成の学校とは異なるユニークなアプローチをする様々なフリースクール。
 
・不登校の子の中に才能を見出していこうとする東大先端科学技術センターによる「ROCKETプロジェクト」http://rocket.tokyo/
 
・「ギフテッドも含め、全ての人が笑顔で暮らせる多様的な社会を提案します」と掲げるNPO法人日本ギフテッド団体 http://gifted.main.jp/
 
・米国のギフテッド教育専門家による活動「NPO法人 Feelosopher’s Path Japan」 http://www.fpjapan.org/
 
・北海道大学研究者による活動「ギフテッド・LD発達援助センター」 http://blogs.yahoo.co.jp/gobusataclub2007
 
・「偏りを生かす社会を創る」と掲げる「Gifted Agent」 https://www.gftd.co.jp/
昨日の「ハフィントン・ポスト」には、「Gifted Agent」代表社員さんについての、こんな記事が載っていました。
「エンジニア、学生起業家、発達障がい者。3つの顔を持つ河崎純真の生きる道」
http://www.huffingtonpost.jp/careerhack-enjapan/story_b_6998514.html
 
 
 
 
偏りのある子達が、良い面を伸ばし、希望に溢れ、これからの世界へと飛び出していけますように。
 
これから少しずつ、「多様な子育ての一つ」として、「ギフテッド」とされる子の具体的支援方法などの記事も載せていけたら、そう思っています。
 
 
それでは皆様、今日も素晴らしい日をお送り下さい!
 
 
 

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