楽観性

ネガティブなことに引きずられない、「ネガティビティー・バイアス」の緩和

まずは週末と昨日起こった2つの出来事です:
 
・母の日に友人家族がレストランに招待してくれました。アピタイザーからデザートまで食べ放題。お皿を持って、あちらこちらのフードスタンドへと嬉しそうに歩き回る子供達。そこへさっきまで満面の笑みだった友人の息子君が、口をぎゅっと結び、怒った顔で戻ってきます。「どうしたの?」と友人。「ここの店員はみんな子供が大嫌いなんだよ!」と。何でも、デザートを取ろうとして誤ってフルーツに手が触れてしまい、それを見ていた店員さんが嫌な顔をしながら息子君の目の前で皿に盛られたフルーツを全部捨てた!のだそう。
 
・昨日大手ホールセールの店にて。山積みにされたスウェットのズボンを1つ1つ広げながら見ていると、初老の女性の店員さんが寄ってきて「何を探してるの?」と。「Sサイズのレギュラーの長さのものです」と答えると、「ああもうそのサイズは売り切れてるから」と言いながら、私が広げていたスェットを1枚1枚畳み始めます。な、何この店員さん、カチン。「Sサイズのレギュラーこの下の方にあるんですけど」とSと書かれた札を見せながら言ってみます。「ああ色によってはあるけれど、あなたはピンクが欲しいんでしょ」広げて見ていたのがピンクだったのでそう思ったのでしょうね。「別に色はどれでもいいんですけど」と私。「ああグレーならあるみたいね」と積まれた服の下の方からグレーのズボンをひっぱり出してくれます。そして「私はせっかくきれいに畳んで積んであるものを客が散らかしたままにしていくのがたまらないのよ」とブツブツ。「ああ気持ちは分かりますけどね」(でも見てる途中からそれはないでしょ)と口から出かけたものの、その場を離れました。マネージャーに話すべきかと思いながらも、子供達の迎えの時間がせまっていたこともあり、店を後に。
 
 
友人の息子君も私も、それまでの気持ちが一転。息子君は「もうこのレストラン二度とこない!今日は最悪の日!」とまで。
 
「望ましくない出来事」がアタマから離れず、そのことばかり考えて気持ちがどよ~んとしてしまう。たとえ「10」問題なくても「1」うまくいかないことで、「今日は最悪の日!」などと「全てがだめ」という気持ちになってしまったり。ポジティブであったり中立であったりすることよりも、こうしたネガティブなことが認知や行為などに大きな影響を与えてしまうことを「ネガティビティー・バイアス」と呼ぶそうです。
 
今日はこの「ネガティビティー・バイアス」についてまとめてみます!
 
 
 

人はどうやって「ネガティビティー・バイアス」を培ってきたか

そのオリジンの説明としてしばしば用いられるのが、「ネガティビティー・バイアス」とは、人類が誕生して以来99パーセントの期間を占める狩猟採集時代に培われた、というもの。
 
猛獣に囲まれ厳しい自然環境の中で食べ物を探して暮らす人々にとって、身を守るためには、常にうまくいかなかったことを思い出し、そのことについて注意を向け続けることが必要だったと言います。例えば、一度岩の後ろにライオンが隠れているのに遭遇したならば、その後は岩を見るたびに注意する、何かが後ろに隠れられそうな樹木やしげみをみれば注意する、そうして人は常に危険が潜む可能性に注意を張り巡らせ、サバイバルしてきたと。
 
それでも現代では、大昔のようにそうそう命が脅かされる状況というのはないもの。店員の態度が好ましくないなんてことで、死ぬわけじゃないんです。それでも、人に深く根付いたこうした「ネガティビティー・バイアス」によって、うまくいかないことばかり常に思い出し考えようとしてしまうと。
 
これは一つの学説であって、まあそういう解釈もあるかなということですね。
 
それでも確かに、大自然の厳しい環境の中で、もっとポジティブに考えればいいのよ!岩の後ろにいつもライオンがいるわけじゃないでしょ!なんて言っていたら、今頃人類は全滅していたかもしれませんね。
 
 
 
 

「ネガティビティー・バイアス」を緩和するには

・あ、「ネガティビティー・バイアス」にはまりこんでる、と自覚する
 
ネガティブなことにインパクトをより受け易いという人の性質「ネガティビティー・バイアス」。もしネガティブな気持ちが押し寄せてきて、原因を考え、解決のためにすぐに何かできるわけでもないのなら、あ、「ネガティビティー・バイアス」にはまり込んでるかなと自覚してみるのもいいかもしれません。
 
例えば昨日の店員さんとのことも、その場を離れてもこの出来事について考え続けて気持ちがすっきりしない自分に、ああそうそう、「ネガティビティー・バイアス」と気づいてみるだけでも、少し気持ちが切り換わりましたね。
 
 
そうして、
 
・全体を眺め、ポジティブ面を見い出し並べる。書き出してみるのもいい。
 
「ネガティビティー・バイアス」へのカウンターパンチとしてよく言われるのが、ポジティブ面に目を向け、書き出してみるということ。
 
全体を眺めて見ると、いかに自分がアンフェアに物事をとらえているかが見えてきます。
 
例えば、上のレストランも、フルーツを捨てたその人以外は、概ね感じのよさそうなスタッフ。次男が水をどばっと椅子にこぼしてしまっても「大人でもこういうことしてしまいますからね、子供が集まったらこうなるものですよ、いいんですよ私がしますから」そう微笑みながら拭いて下さり、その上ジュースまでおまけしてくれた!もう天使のようなウェイトレスさんもいたわけです。
 
子供に対しては、そういったことを一緒に思い出しながら話し合い、それに美味しいものもたくさん食べて、ここへ来る前は皆でプールも行ったし、この後は公園へ行って、夜はあなたの家で映画を見るのよねー。と、「嫌な出来事」というのは確かにあるけれど、でもそれは、たくさんある楽しいことポジティブなことと並んで一つの点のようなものと感じさせていく。こうして皆で話すうちに、友人の息子君も徐々に気持ちを持ち直していきました。
 
 
また昨日のホールセールの店でも、運ぶのを手伝ってくださったり、これ美味しいわよとお勧めを教えてくれたりと圧倒的に親切な店員さんが多いのに、1人によって全て打消しになってしまっては何ともアンフェア。それにあの店員さんも・・・、確かにあちらこちらぐちゃぐちゃにして去っていく客も多いだろうし、毎日毎日畳み続けてたらそりゃ嫌になるだろうな、私もこれから見た後はきれいに畳んでおくように気をつけよと、全体を見回すことで考えられるようになりました。
 
 
 
 

子育てでも「ネガティビティー・バイアス」の自覚&よりフェアな認識と対応を

子供が何かをうまくできなかったり、まだまだ未成熟な面ばかりに釘付けになっている自分に気づき、フェアに全体を眺めるよう心がけたいです。ネガティブなことばかり頭にグルグルする場合は、その子のできたところや、いい面に目を向け、整理し書き出してみる。
 
できているとき、うまくできてる時は当たり前で何も注意を向けず、できないとき、うまくいかない時に最大限の注意を向けるとなってしまいがちですが、全体を眺めてフェアに。できているとき、うまくできているときに、褒め感謝しと導いていくよう心がけたいです。
 
うまくできないことに対して、具体的な改善策や対処法を考え、動いていくのも大切ですが、改善点を伝える時も、「いい面、改善点、いい面」とサンドイッチにして伝えるのもいいですね。
 
気をつけていきたいです!
 
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一点に釘付けになっている状態から、ズームを引き、全体の細部を丁寧に見ていくのなら、必ず、いいことやありがたいことがたくさん散りばめられているもの。
 
ネガティブ、ポジティブ、中立、満遍なく眺め、バランスを取っていきたいですね。
 
それでは皆様、楽しい週末をお過ごし下さい!
 
 
 

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