勤労感謝の日を含む3連休の週末。ウェスト・バージニア州の「ハーパーズ・フェリー」に行ってきました!
町の始まりは300年ほど前
1734年、クウェーカー教徒のロバート・ハーパー氏が殖民したことから始まった町です。ポトマック川を行き来するフェリーが設けられたことから、「ハーパーズ・フェリー」と呼ばれるようになったそうです。
By Mark Fickett (Wikimedia Commonsより)
1796年には、連邦政府により武器工場が建設され、交通上、軍事上の要衝に。
1年に1万の武器を生産し、400人の労働者が雇われていといいます。
ハーパーズ・フェリーといえばジョン・ブラウン
このハーパーズ・フェリーが全国に知れ渡ることとなった事件が「ジョン・ブラウンの蜂起」です。1859年、奴隷制度廃止運動家のジョン・ブラウン氏が21人(白人16名&黒人5名)の共鳴者と、このハーパーズ・フェリーの武器庫を襲撃したんです。この事件は、南北戦争開始の一因になったともされています。
南北戦争中も、1862年の「ハーパーズ・フェリーの戦い」を含め、何度か激戦地となったハーパーズ・フェリー。
「ハーパーズ墓場」には、南北戦争中になくなった人々の墓石がありました。
アウトドアも盛ん
自然国立公園にも含まれるハーパーズ・フェリーには、ジョージア州からメイン州にかけて14州にまたがる約3,500kmの長距離自然歩道「アパラチアン・トレイル」のヘッドクウォーターがあります。
アパラチアントレイル管理局!
全区間踏破者は「2000マイラー(3,500kmは約2000マイル)」と呼ばれ、毎年2000人程が挑戦するのだそうです。こういう冒険大好き長男、目がランラン。
またハイキングやロッククライミングの他にも、ラフティングやカヌーなどのアウトドアも盛んです。
この川も、ラフティングやチュービングする人々で賑わってました。
町を一望する「トーマス・ジェファーソン岩」
1783年に訪れたトーマス・ジェファーソンが、ハーパーズ・フェリーをのぞむ
この石の上に(ちょっと遠いですが中央)、
こんなように立ち、
「この景色は大西洋を横断しても見る価値があるなあ(this scene is worth a voyage across the Atlantic)」と言ったことから、この名前がづけられたのだとか。1783年に娘パッツィーにあてた手紙には、この岩からの景色について、「おそらく自然界で最もすばらしいシーンのひとつだろう」と。
今では石の上に立つことが禁止されていて、「その景色」と全く同じものを見ることはできないんですが、周りからの景色、ああ、自然はやっぱり、いいですねー。
18ー19世紀の建物があちらこちらに
教会跡
南北戦争の攻防戦にも生き残ったとされるピーターズ教会
当時の衣装を着た方が建物内をガイドしてくださいます。
1850年に建てられた水門
綿工場跡。
製粉工場に用いられた石
石造りの建物の半地下に、アイスクリームショップ!
歴史に触れる意味を改めて思う
普段「目の前の日常生活でいっぱいいっぱい、過去未来なんて考える余裕な~い」ともなるんですけど、「過去から未来に向けての連なりの中での今」を感じる貴さを、改めて思いました。
過去、「当たり前」となっていたことに「そうじゃないでしょ」と向き合い、切り開いてきた人々がいるからこそ、今がある。そしてそれは、私たちの暮らす現在から未来に向けても、同じなんですよね。歴史を振り返る意味は、立ちはだかる壁を突き抜けてきた人々の生き様に触れるためでもある、改めてそう感じています。
とはいえ、何も大げさに「何かしなくては!」ということではなく、目の前足下を見回し、自らできる範囲でできることをしていきたいですね。
この日、ちょうど私自身誕生日だったんですが、思い出深い一日となりました。
それではみなさん、クールな初秋をお送りください!