はじめに

訪れて下さり、ありがとうございます!

 
『ユア子育てスタジオ』では、
 
・人類学、心理学、教育学に基づいた子育てに関する情報

・子供や子供に関わる大人のマインドトレーニング法

・日常の子育て風景 & 気づき
 
をお届けします。
 
 

「ユア子育てスタジオ」のスタンス

目指すもの

ユア子育てスタジオが目指すのは、「持てる力を最大限発揮できる子育て」です。
 
才能や能力など「持てる力」には、確かにその質や量に違いがあるかもしれません。それでも、人というのは、生まれながらに持っているものと、後天的な出会いや働きかけや環境などが、相互に絡み合って成長していくもの。 素晴らしい才能を持ちながら発揮することができないままだったり、飛びぬけた才能に恵まれなくとも、出会いや環境などによって、とてつもない力を発揮できる場合もあるでしょう。
 
どんなものを生まれながらに持っていたとしても、それらを引き出し、伸ばし、発揮でるような子育てを目指していけたら。
 
私管理人自身は、いい成績を収め、いい学校に入り、いい職業につくといったことよりも、「持てる力を発揮できること」、それが「人生での成功」だと思っています。たとえ周りの目に留まることなくとも、すごい!と見上げられることがなくとも、その子その人が、自身ここだと感じる場で、持てる力を生き生きと発揮できるのなら、それが「成功」なのだと。
 
 
 
 

「3つの力」

「持てる力を最大限発揮する」のを助けるために、『ユア子育てスタジオ』では、以下の3つの力」の育成を大切にします。私自身、これまで情報を発信し続けてきた中で、そしてこれからも発信を続けていく上で、拠り所としてきた&していくことです。
 

「3つの力」とは:

1.安心力

2.成長力

3.交流力

 
安心力とは、どんな状況におかれたとしても、心の奥深い部分で安心できる力
成長力とは、より良く成長していこうとする力
交流力とは、他者と交わる力です
 
安心力とは、一見目には見えない地面下に張り巡らされた「
成長力とは、地面の上にすくすくと伸びる「
交流力とは、枝先を覆う「」のようなものです
tree preface 2 jpeg
 
たとえ成長力)が上を向き伸び続けていたとしても、安心力)の弱い樹木は、強い風が吹けば倒れます。それでも安心力)がしっかりと張っているならば、どんな嵐に合おうともびくともしません。
 
太く真っ白に張り巡らされた根(安心力)、天高く伸びる頑丈な幹(成長力)、そしてその先に芽吹く交流力)は、日の光を浴び、酸素を生み出します。樹木が育つことで、周りの空気は澄んだものへと変わります。
 
安心力(根)・成長力(幹)・交流力(葉)が健やかに育つことで、人は、自らの力を発揮し、人と人の間に、「澄んだ空気」のような「何か」を提供する大人へと、成長していけるのかもしれません。
 
 
 

3つの力」を育む柱

子育てをしていてつくづく思うのは、子供は、「思い」や「観念」だけでは育たないということです。
 
「安心力、成長力、交流力が大切」と思い、「安心力をつけようね」「成長していかないとね」などと子供に言葉をかけたとしても、何かが子供の身につくわけではありません。
 
子供は、思いや言葉だけではなく、実際の「体験」や、行為を繰り返す「習慣」によって成長します。そうして小さな頃から繰り返した「体験」や「習慣」は、その子を根底から支える強力な柱となるのです。
 
『ユア子育てスタジオ』では、これらの「3つの力」を支える柱の探究を続けつつ、発信していきます。
 
 
 
 

「3つの力」が形となるまで

ヨーローッパに祖先を持つ南米出身の夫、日本生まれ育ちの私。
 
アラスカに暮らすそんな私達夫婦の間に生まれた5人の子供達は、将来、一体世界のどこに暮らすことになるのかも分かりません。太平洋に浮かぶ島々かもしれませんし、地中海を望む町、北極近くの村、南極を望む岬、砂漠のオアシス、ヨーロッパの大都会、アマゾンのジャングル、または日本海を眺める港町に暮らしているかもしれません。
 
私達夫婦が子供達に望むのは、どんな土地でどんな人々に囲まれ暮らすことになろうとも、自分の持てる力を発揮できる人に育って欲しいということです。
 
そして、ふと周りを見回し思うのです。
 
そんな親としての願いとは、私達のような異文化を持つ夫婦の間に育つ子供達だけではなく、これからの世界を生きる全ての子供達に、当てはまるのではないでしょうか?
 
交通手段や通信技術の発達により、これからの世界は、ますます様々な価値観が入り組み、目まぐるしく変化し続けます。そんな状況の中、こういった環境ではうまくいくけれど、ああいった環境では潰れてしまう、そんな限られた範囲内でのみ通用する力ではなく、どんな枠組みでも持てる力を発揮し進み続けることのできる「根本的な土台」が、ますます必要とされるでしょう。
 
ではその「根本的な土台」とは何だろう? それらの「土台」を、子供達にどうやって身に着けさせたらいい? 日々子供達に向き合い、リサーチを続ける中で、少しずつ形になっていったのが、「3つの力」と「それらを支える柱」です。
 
これらは、書物に囲まれ机上のみで生まれた答えではなく、日々子供達と暮らす母親、そして子供に接するインストラクターとしての目線から紡ぎ出された「ひとつの指針」です。夜泣きの子の背中をさすり、五人の子供達の嵐のような朝仕度を手伝い、山のような洗濯と片付けに一日の大半を費やし、少しでも健康で経済的なものをとスーパーを周り、毎晩宿題や復習に付き合い、子守唄を歌いながら自分も眠ってしまい。日々そんな子供達との日常の細部に向き合うことで、少しずつ築かれていきました。
 
またこうした日常の細部へ向き合う姿勢というのは、私自身の専攻していた文化人類学から学んだものでもあります。文化人類学の要は「フィールドワーク」です。人類学者は、研究の対象とする人々と長期間共に暮らす「フィールドワーク」を通し、彼らの日常の細部に向き合うことで、より全体的な様相を描き出すことを目指します。
 
こうして子供達と過ごす日々というのは、「フィールドワーク」でもあるのではないかと感じることがあります。文化人類学で学んだ「細部に向き合いつつ遠くを見る」観察者としての姿勢は、母親としての思いや感覚を形にしていく上で、大きな助けとなっています。

 
 
 
個性は人の数だけあり、一人一人の力を伸ばす方法も多様です。
ここでの情報を「ひとつの方法」として、参考にしていただけたら嬉しいです。
 
 
肩の力を抜いて、
また明日も、頑張ろうかな。
そう感じつつ、
役立ていただける情報の提供を目指します!
 
 
 

6 Comments

  • sasaki,n
    July 5, 2016 - 9:25 am | Permalink

    日本ではこんなしょうもない状況になってるようです。本物の子育て論、日本語で出版してくださいよ。

    >「プロ親」ブーム時代に 塾のなすべき役割とは? http://blogos.com/article/181998/

    • 長岡真意子
      July 5, 2016 - 9:15 pm | Permalink

      おおたとしまさ氏の言う、「タイプの違う多数のプロ親が出現し、『結局みんなやり方が違うじゃん! どれをまねしたらいいのかわからない!』という結論になり、数年のうちにプロ親ブームは終焉を迎える」という予測、面白いですね。
       
      そうして結局、「外注の子育て」でなく、「自らの子育て」を、個々の家庭が築いていく、という風潮がメインになったら、最高ですね。
       
      子育てでの、最も大切な根っこにあたるものとは、とてもシンプルなんだろうなあと、子供に接する年月を経るほど、思うようになっています。ただ、昨今は、その根っこの上に築いていくはずの、様々なスキルやメソッドや、いわゆる「プロ親」が発する「子育てイメージ」的なモノが先行して、最も大切なはずの根っこの部分が隅に追いやられがちなのかなと感じてます。
       
      様々なプロ親が溢れ「ロールモデル」がより多様化することで、「当てはまらないじゃん」と途方に暮れる人々も増え、そこから、目の前のその子と向き合い、再びシンプルな根っこから築き直す姿勢が促進されていくといいですね。
       
      身体はひとつ、1日は24時間。私自身、大げさかもしれませんが、「では、死を直前にしたとき何を最も後悔するのか」と自身に問いながら、選択していく日々です。できることをしていけたらなと思っています。
       
      佐々木さん、良い夏をお過ごしください! ありがとうございます!

  • 長岡真意子
    May 3, 2015 - 11:26 am | Permalink

    せいこみかみさん、コメントをありがとうございます。せいこさんのおっしゃる言葉の一つ一つの意味を、私自身のとても深い部分で感じつつ、読ませていただきました。
     
    中学生の娘さんがいらっしゃるんですね。「ママは普通と違うからいい」と言う娘さん、その年でお母さんをそうやって相対的に見られるというのはすごいですね。「一緒に育っている」、私自身も本当にそう思っています。彼ら彼女らの葛藤に一つ一つ向き合うことが、私自身置き去りになっていた問題を一つ一つ一緒に乗り越えていっているかのような気持ちです。
     
    周りとの違いに苦しまれてきたんですね。周りの人々はどうしてこうも簡単に物事を忘れてしまうのだろうと、なぜ、表面的な知識の奥にある、仕組みや生成過程や始まりについてもっと目を向けないのだろうと。そういった気持ちを、大人になった今でも持ち続けていると。限られた時間と睡眠を取る必要のある肉体を持ちつつ、生活を回し糧を得る活動にと従事する中で、時にそういった気持ちは自分にとっても周りに取っても難しさを生み出すことがある、どうして自分は子供のままで、大人になりきれないのだろう、そういった感覚、私なりにとてもよく分かります。私自身日々、肉体の限界をうらめしく思っているのです。
     
    >娘が生まれて来てくれてなければ、私はどうなっていたか?と思うんですね。
    >世の中に求めるものが無くなっていたかも知れません。
    >自分自身とも対話することをやめてしまっていたかも知れません。
     
    私なりに本当に分かります。私自身、彼ら彼女がいるおかげで、諦めない姿を見せていくという、モーティベーションを手に入れたのです。この子達が将来、絶望することがあったとしても、再び立ち上がり、歩き続けてくれることを祈りつつ。
     
    日本でもより個性が認められる教育制度が可能となれば、そう思います。日本でもし子供達と暮らしていたら、と思うことがあります。すると、日本が大好きでありながら、私自身あまりにも苦しい思い出が溢れてしまうのです。私自身が何をできるか、形になることは何もできないかもしれません。それでも、細々ながらでも、うっすらとでも、こういう道筋もあるのだという線を引いていくことができたら、そんなように思っています。
     
    「幸せとは、自分の行きたい生き方で生きること」
    私も本当にそう思います。
     
    娘さんが生まれたことを昨日のように思い出されると。ママのところに生まれてきてくれてありがとうと抱きしめられて。せいこさんが傍にいて、娘さんは本当に幸せですね。
     
    こうしてせいこさんの思いをシェアしてくださったこと、感謝です。私自身、心の奥が満たされた気持ちです。いつかどこかでお会いできる日を、楽しみにしています。GW、どうぞ幸せな時をお過ごし下さいね。こちらは土曜日、皆で散歩した後、春の大掃除の一日です。新緑の日本を想いつつ。

  • seiko mikami
    May 2, 2015 - 6:29 am | Permalink

    初めまして、seikoと申します。このページを読んでいたらコメントしたくなったので、こちらからで良いのか?わかりませんが
    書きたいと思いました。
    私は45歳で既に7年生の娘がいる大人?となりましたが、私はギフテッドです。
    日本でずっと暮らしておりますので、親からも周囲からも理解されず、ずっと苦しんで参りました^^)
    今は自分の良さを子育てに発揮して、自分も娘と共に成長しようと頑張っています。
    私は典型的でありますが、記憶力が良すぎて自分がおかしいのか?と思うほど周りが忘れることに苦しみました。
    学校でも先生の言っている意味は分かりますが、何で?そうなるのかを教えないんだな~とずっと思っていました。
    何で?どうして?というものは子どもだけなのかと思っていましたが、未だあります^^)
    勉強はやらなくても不思議とできました。
    集中力は今でもあるので、興味があることには24時間でも48時間でも体が疲れるまで集中することができます。というか
    止めることができません。
    好奇心も子どものままあり続けます。
    自分が大人になれないのか?悩んだこともありました。
    大人って何だろう?と考えたこともありました。
    生きるって何だろう?
    自分は何のために生まれてきたのか?そんなことを未だに模索し続けています。
    興味が無くなると、次へ行くので^^)
    親からは続けることができない人と言われ続けてきました。
    洞察力もかなりありますので、傷つくことも多いのは確かです。ただ、ここは大人になるのつれて経験が学びとなるので、
    人の考え方を捉えて話をすることができるようになりましたが、発言に気を付けないと理解されないので神経を使います。
    日本にも人として理解される教育制度ができるといいなと思いますが、
    まだまだ机の上で勉強している状態の日本では難しいのではないか?と私個人的には感じています。
     
    本当にそうですね。できることを伸ばすことが教育だと私も思います。
     
    個性も能力もその子が持ったもの。良いところを伸ばして幸せになって欲しいです。
    幸せとは、自分の行きたい生き方で生きることだと私は思います。
    行きたいと書いたのは、自分の道を自分で決めて進むという意味です。
     
    私は押し付けられて育ちました。
    心の自由はありませんでした。
    自分の能力を全力で否定されました。
    褒めてもらったこともありません。
     
    でも、私は娘を自分のモノだと思ったことはありません。
    彼女が生まれてきてくれたことを未だ昨日のように思いますし、
    ママのところに生まれてきてくれてありがとう~と抱きしめます。
    彼女が自分で何かを見つけるために見守っています。
    娘が良く言ってくれます。
    ママは普通の人と違うからそれがいいって。
    娘が生まれて来てくれてなければ、私はどうなっていたか?と思うんですね。
    世の中に求めるものが無くなっていたかも知れません。
    自分自身とも対話することをやめてしまっていたかも知れません。
     
     
    私自身、何かできることがあるかも知れません。
    ないかも知れません。
    私自身同じような感覚の方が日本にいるのか?もわかりません。
     
    このようにメッセージを送ったこともありません。
     
    自分は何者か?
    今はこの命題を楽しんで生きています。
     
    いつかどこかでお話を伺いたいですね^^)
     
    長くなりましたが、
    書かせていただける場所を作っていただけて
    ありがとうございます。
     
    とても幸せな気持ちになりました。

  • 長岡真意子
    June 3, 2014 - 3:51 am | Permalink

    mirumiruさん、こちらに来てくださってありがとうございます!連絡を取ろうとmixiを探してみたりしたのですが、分かりませんでした。mirumiruさんのお声が聞けて、本当に嬉しいです。

    こつこつと書き続けていきますね。これからもどうぞよろしくお願いします!

  • mirumiru
    June 1, 2014 - 1:12 pm | Permalink

    真意子さん、ホームページ開設おめでとうございます。
    子育てや学習のアイデアがいっぱい詰まったこのHP.私も参考にさせていただきます。
    今後ともどうぞよろしくお願いします。

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