プロローグ

プロローグ: 命が宿る

 

「ユア」

年明けのお祝いムードから街が日常のリズムを取り戻す一月の終わり、ネイティブ・アラスカンの仮面についての論文を大学オフィスに提出し、その足で産婦人科へ向かいました。下腹部に鈍い痛みが続き、わずかな不整出血、その上めまいも感じていたためです。論文の追い込みで随分と寝不足が続いていたから、身体に負担をかけてしまったのだろう、無理をすると以前もこんな症状が出たことがあったし、一度しっかり検査をしてみよう、そう思っていました。

 

「おめでとうございます。六週目ですよ」

 

 口ひげを生やしどこかのカフェのマスターにも見える産科医の明るい声を、不思議な気持ちで聞きました。ベッド脇のスクリーンには、子宮の中が映し出され、その真ん中に、小さな楕円形の影が映っています。

 

「あと一ヶ月もすれば、この丸いのがね、赤ちゃんの形になる」

 

 産科医が嬉しそうな声で説明してくれます。

 

 私の内に、私ではないもう一つの命が育っている・・・。

 

 ふと、「ユア」を思い出しました。アラスカ南西部のネイティブ・アラスカンは、かつて森羅万象あらゆるものに、「ユア」という「精霊 (spirit)」が宿ると信じていました。目に見える形を超え、どんな姿形にもなれる「ユア」。仮面に刻まれた「ユア」は、動物や人間の中に、「人の形」として刻まれています。

 

下腹部とエコーの画面とを交互に見比べながら、それまで三年の間、毎日のように向き合った「ユア」のイメージが、まるで現実となったような気持ちでした。

 

 

病院を出ると、辺りはオレンジ色。こうして夕焼けを眺めていたって、もう一人じゃないんだな、初めての感覚にとまどいながらも、胸の奥底から温かい気持ちがこみ上げてきます。

 

 新しい命、赤ちゃんを抱く自分。

 

それまでの生活で、具体的に想い描いたことも無い自分の姿であるはずなのに、なぜだか少し懐かしい気持ちになります。

 

一年もすれば赤ちゃんは歩き始め、五年もすれば学校へ行くようになり、子供から大人へと移り変わる中で旅をし、そして愛する人にめぐり合い、再び命が宿り。線路沿いの道を一人歩きながら、はるか先の風景と、それまで自分が歩いてきた道を重ね合わせていました。

 

この新しい命がまた命を宿す頃には、私も老い、そしていつかこの世からいなくなる。それでも命というのは、こうして一人一人の身体を超え、永遠に続くのかもしれない。

 

 あの、「ユア」のように・・・。

 

夕陽に包まれ歩きつつ、そんなことを思っていました。

 

 

ネイティブ・アラスカン「父」の言葉

 夫とは、当時アラスカと日本とを行き来する別居暮らしを続けていて、論文が無事通ったら、アラスカへ移住しようと予定していました。それでも、まさかもう一人の家族というプレゼントがついてくるとは思いもしませんでした。

 

 桜の木の下で卒業を祝い、梅雨雲が空を覆い、その雲の合間から青空が見え始める頃、合衆国政府からビザが下り、妊娠七ヶ月でアラスカに渡りました。ひっそりとしたアンカレッジ空港に一人降り立つ私を、妊娠が分かって以来初めて会う夫が迎えてくれました。大きなお腹を前に、とまどいと決意が入り混ざった少年のような彼の表情。

 

 こうして、小さなワンベッドルームにほとんど家具も無く、フライパン一つで何もかも調理するといった、まるでままごとのような暮らしが始まりました。窓の外には、雪をかぶったチュガッチ山脈。壮大な山の連なりが、私達夫婦と、もうすぐ生まれる赤ちゃんを、見守ってくれているようでした。

 

 

 ある日重いお腹を抱え、ダウンタウンを夫と歩いていた時のことです。ネイティブ・アラスカンの「父」に偶然出会いました。「父」というのは、私が村々を旅していた時お世話になった家の父なのですが、私はその家で彼らの親族の名前をもらい、彼らの「家族」として迎えられたのです。

 

 ネイティブアラスカンユピック族の間には、亡くなった親族の名前を、生きている人々に再び授けるという慣習があります。あの家の三男のアザラシの食べ方は、五年前に亡くなった叔父のジェフにそっくりだ、あそこの家の次女は、十年前に他界した祖母のメアリーが編んだ籠を小さな頃から大切にしている、そんな様子から、故人の魂のようなものがその人に息づいているとされるのです。そしてそれら故人の名前であった「ジェフ」や「メアリー」を、生まれた時に授けられた名前に加えていきます。こうしてユピックの人々は、私はジェームスであり、ジェフでもあり、クリスでもあると、いくつもの名前を持っています。 

 

 ユピックの人々と暮らした夏、私の歩き方やお茶ばかり飲んでいる様子から、私の内には彼らの親族が二人宿っていると告げられました。そしてシャーマンの家系に育ったという「父」に儀礼をしていただき、二つの名前を授かり、私は「彼らの一人」となったのでした。

 

 飛行機に乗って一時間ほどのところにある村にいるはずのその「父」が、突然前方から歩いて来ます。驚いて駆け寄る私に、「ネイティブの集会に参加しに来たんだよ」と、「父」はいつもの穏やかな表情で言いました。そして妊娠したことをその時初めて告げた「親不孝な娘」を、その大きな手で抱きしめると、私の下腹部を指し示し、こう言いました。

 

 

This person needs you, you need this person.

 This person needs this world, this world needs this person.

 That is the reason why this life is here.

 

この子にはあなたが必要 あなたにはこの子が必要

 この子にはこの世界が必要 この世界はこの子を必要としている

 だからこうして命が宿ったんだよ

 

 

私の目をまっすぐ見つめる「父」の目は、私を突き抜けはるか遠くを見ているようでした。この「父」の言葉が、その後の子育て生活で、どれほど支えになってきたか分かりません。五人の子供を追い掛け回し一日を終えぐったり疲れてしまっても、ふとこの言葉を思い出す度、また明日から頑張ろうと思えるのです。

 

親と子互いに必要だったからこそ、こうして生まれて来るのだと「父」は言います。そして命というのは、この世界に必要とされているからこそ宿るのだと。「父」のメッセージは、心の奥深いところで、響き続けています

Powered by: Wordpress