先日、子供さんがもう成人された友人が、こんなことを言っていました。
「子供の親に対する愛情程、無条件なものってないじゃない。たとえどんな母親であろうと、特に小さな子供は、お母さんが好きで好きでしょうがない。振り返ってみてね、子供が小さな頃を一緒に過ごした時って本当に特別だったと思うのよ。今真っ最中で大変だろうけれど、かけがえのないそのひと時ひと時を、楽しんでね」
母親の愛情が、どんなに至らなかろうが、条件づけだらけの愛情だろうが、子供を邪魔に思ってしまうことさえあろうが、小さな子は、お母さんが好きで好きでたまらない。一緒にいたくてたまらない。
本当にそうですね・・・。
昨夜は寝る前、三女と次男と寝転びながら読み聞かせを終わり、その日あったことなど話していると、
今日は教室で、○○君と○○君とレゴして遊んだー、と次男。
「友達と遊べて楽しいねえ、学校どんどん楽しくなってきてるねー」と声かけると。
「ううん、全然楽しくなってきてないよ」と。
「楽しそうだけどなあ」
「ううん、楽しくないよ・・・」
「・・・。何が嫌なのかなあ、学校」
「ママと一緒にいたいの」
泣きべそ顔で。
隣から7歳三女が言います。
「そういう気持ちになった時はね、いつも○○ちゃんと『お母さんと子供ごっこ』するのよ。○○ちゃんがお母さんみたいになるの。お母さんみたいに話して、抱きしめてくれて。この前は○○ちゃんがね、遠くの山を見て、なんかあの山こっちに向かってくるみたいでこわ~い、ママに会いた~いって、泣きべそ顔になりだしたから、私がママになったのよ」
隣で聞いていた夫、
「そういうもんだよ。すごく覚えてるもの、自分もその気持ち」と。
夫はちょうど今の次男や三女の年の頃、両親離婚し、父親に引き取られ、18歳になるまで母親に会うことがありませんでした。「どれほど会いたかったか。いつも母親のことばかり考えていた」、と話していたことがあります。
当時の夫の気持ち、そして裁判での争いの末、4歳と6歳の子を手放さざるを得なかった母親の気持ち、想像するだけで身が裂かれるような痛みです。
私自身も思い出します。物心ついた頃には保育園で育ったのですが(祖母がその0歳から6歳までの保育園の園長をしていて、母も少し離れた建物で学童保育の先生をしていたり、叔母や親戚などがスタッフで働いているなど、親族に囲まれていたのですが)、いつも「ガーゼ」を肌身離さず持っていたんです。胸のところに安全ピンで留めてもらってました。
「ガーゼ」というのは、「その家の匂い」を吸いこむんですね。寂しくなったり不安になると、そのガーゼを鼻に押し当て、落ち着くんです。「家の匂い」それはイコール、「母の匂い」でした。泣きべそをかきしゃがみこみ、それでも「母の匂い」に包まれ、歩き出せていた。その感覚を、今も覚えています。
「どんな母であろうと、特に小さな子供は、お母さんが好きで好きでしょうがない」
教えてやらないと、身につけさせないと、この子達を愛しているからこそ、そう子供達に向かいつつ、
親というのは、実は小さな子供達から、「無条件の愛情」というものを学んでいるのかもしれないな、そんなことを思ったり。
「幼子のまなざし」を、思い出していきたいです。
今日はこちら感謝祭。
皆様にこうしてシェアさせていただけること、感謝を込めて。
どうぞ今日も良い日をお送りください!