社会・国・世界

日本への原爆投下について、子供に伝えたいこと

今年は70周年。
 
私の母は広島出身なのですが、母方の親戚は、母も含め多くの方が被爆者手帳を持っています。伯母の一人が即死、母は胎内被曝、私も被爆三世、子供達は四世。子供時代夏休みになると毎年広島を訪ね、従弟達と一緒に、伯母や伯父が体験した原爆の話を聞いたものでした。また母は、兄と私を出産する際、その影響を心配したと言います。
 
こちら米国に渡り、原爆についての「一般的な考え方」に愕然としました。原爆資料館や身近に聞いた生々しい体験と、米国で行き交う言説との、そのあまりにもなギャップ。
 
以下、過去記事をまとめ直したものです。
 
 

米国での一般論

こちら米国で主流の考え方とは、「一般市民の多くが無残に亡くなり痛ましいこと、それでもあの戦争を止めさせるためにはやむを得なかったんです。もしあそこで原爆を落としていなければ、日本本土決戦となり、日本米国両者により多くの死者を出すことになっていたでしょう」というものです。
 
子供達も、周りのこうした圧倒的な雰囲気を感じています。
 
 
 
 

本当に「やむを得なかった」の?

あの大戦を終わらせるためにやむを得なかった」という論の「不当性」についての調査や言説は、米国側からも出ていますが、公に報道されることはほとんどありません。
 
それでも少し調べてみると:
 
・連合国側からの海上封鎖などが効果をあげており、日本は当時戦力も既に随分と落ちていて、降伏は時間の問題であった。
 
・無人の地に落とすなど核の威力を見せ付けることで、もし降伏しないのならばこれを落とすとすれば十分であった。(「マンハッタン計画:第二次世界大戦中連合国側による原爆製造計画」の科学者もそう提案)
 
・「戦争を止めさせる」が目的ならば、日本への原爆投下について極秘を保つのでなく(直前までトップシークレットとされた)、日本側にも何度か警告することで十分に効果を得られたはず。
 
ともされており、本当に「やむを得なかった」?と疑問が湧いてきます。あの時投下したのには、他に理由があったんじゃない?と。
 
 
例えば、
 
・広島ウラン型、長崎プルトニウム型と違う種類が用いられたのですが、「トリニティ実験」(日本原爆投下約一ヶ月前の七月十六日に米国で行われた人類初の核実験)ではプルトニウム型のみが用いられ、ウラン型との比較実験データが欲しかった。
 
・米国の威力を世界に見せ付けるためだった。
 
といった説もあります。
 
 
私自身は、こうした米国の野心が大きく絡み、その上で、各地の戦線の状況から「最後の一人になるまで闘うだろう有色人種日本人」というイメージが行き渡るなど、世論を納得させられる状況が揃っていたため、ということだったのではと思っています。
 
 
 
 

「勝者」によって作られる世論

そして、歴史や世論と言うのは、勝者側によって作られるとも思っています。
 
「ドイツがアメリカに原爆を落としたとしましょう。その後ドイツが戦争に負けたとします。その場合我々アメリカ国民の誰が”原爆投下を戦争犯罪とし、首謀者を極刑に処す”ことに異議を唱えるでしょうか?原爆投下は外交的にも人道的にも人類史上最悪の失敗だったのです。」
 
そうマンハッタン計画参画の科学者 レオ・シラードが言うように、もし敗者側が原爆を落としていたのなら、原爆投下に関わった人々、軍上層部からエノラ・ゲイの乗組員から逐一戦争犯罪の裁きを受けていたでしょう。
 
 
 
 

同時に日本で生まれ育った者として覚えておきたいこと

こうして米国側の問題を並べましたが、同時に、世界の状況を見るとき、枢軸国であった日本も随分ひどいことをしていたのも事実であり。天皇を「神」とし(天皇の本意かどうかは別として)、「大日本帝国」を広げようと周辺諸国へ侵略し。そこでの行為のひどさの度合いについては、様々な意見もありますが、決して許されるべきではないことも多く含まれていたと思っています。
 
 
 
 

子供達に伝えたいこと

子供達には、次の3点を覚えておいてほしいと話しています。
 
1.大多数の人々が「正しい」と思っていることを鵜呑みにせず、様々な方面から情報を集め、「本当のところはどうなんだろう」というスペースを残しておくこと。
 
2.いい面美しい面だけを見るよりも、弱く間違った部分を見、それらがより良くなるために自分に何ができるかと動いていくことこそが、その人その国を愛しているということ。
 
3.生身の人の温もりを決して忘れないこと。こうしてテーブルに向かい合い、こちらでは何万人の被害で、あちらは何十万人死傷者が出たと話すわけだけれど、その一人一人の流す血の赤さや痛みの大きさを想ってみる。日本であろうと米国であろうとアジアの周辺諸国であろうとヨーロッパであろうと、そこに暮らす一人一人も、愛する人々と共に、あなたたちのように全く同じ温もりを持った日々を過ごしている。
 
 
 
今年も、広島長崎について、子供達と話し合おうと思っています。
 
 
 

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