一つのことに没頭していたかと思ったら、いつの間にかするりと他のことへ移り、泣いていたかと思ったら、次の瞬間には笑っていたり。
白から青へとくっきりとした境目をまたぐのではなく、うっすらとした水色、濃い水色、明るい青、深い青の間を、ふわふわと飛び回っている。
それは、「生と死」の感覚についても。
私が十歳だったときにね、と四歳の子が言ったり、まだ生まれるずっと前、ママのこと弟と一緒に見ていたのよと言ったり。ごっこ遊びの中で一度「死」んだヒロインが生き返ったり、死んでしまったインコが窓から戻ってくると思っていたり。
「生と死」というものが断絶した「始まりと終わり」というよりは、変わることなく続く何かがあるというような気持ちでいる。
永遠に続く存在、それは宗教の根幹となるコンセプト。生まれる前、そして死後に続く何かがあると信じること。
それでも、この「永遠に続く存在の信仰」は、宗教や文化によって後天的に刷り込まれるのではなく、実は、ヒトの「直感」に根ざしているのではないか、そう示唆する研究が最近発表されている。
心理学と人類学を学ぶNatalie A. EmmonsとDeborah Kelemenによる、エクアドルの以下のような特徴を持つ「二つの地域の子供達」への調査。
1.街のローマカソリック文化に育つ子供達。生まれる前に何らかの意識や存在があるという考え方は、ローマカソリックでは否定されている。
2.アマゾン流域の狩猟採集民の村に育つ子供達。生まれる前に何らかの意識や存在があるといった考え方の見られない村。
二つの地域の283人子供達に、女性、妊娠した同じ女性、赤ちゃんの絵を見せ、それぞれの絵について、妊娠する前、子宮の中にいた時、赤ちゃんだった時の、能力、思考、感情についてインタビューしたもの。
何か聞こえた?
何か見えた?
心臓は鼓動していた?
おなかがすいたと感じた?
のどが渇いたと感じた?
何かを覚えていた?
何かが欲しかった?
悲しかった?
嬉しかった?
などを尋ねて。
すると、全く異なる文化を持ったどちらの地域でも、同じような結果が見られたという。
お母さんの子宮に宿る前は、肉体を持っておらず、見たり聞いたりといった能力や考えたり思い出したりといったことはできなかったけれど、感情や何かをしたいといった欲望は持っていた、そう多くの子が答えたと。目がなくて見えなかったけれど、もうすぐお母さんに会えると嬉しかった、家族と離れて悲しかったといったように。
宗教や文化に関わらず、多くの子供達が、生まれる前には、肉体を超えた感情や意識を持つ「何かしらの存在」であったと感じている、そうこの研究は示している。子供達は、心(mind)の一部が、肉体を離れ、独立して存在できると直感的に捉えていると。
子供達から受け取るインスピレーション。
その中の一つに、子供達の見ているこんな世界がある。
有限に囲まれた中にも、無限に続く何かを感じている。
今日も、子供達と過ごす時を、楽しみます!
参考資料:
The Development of Children’s Prelife Reasoning: Evidence From Two Cultures
Natalie A. Emmons* and Deborah Kelemen Academia.edu
https://www.academia.edu/5137264/Childrens_Pre-life_Reasoning_Evidence_from_Two_Cultures
Boston University Study Examines the Development of Children’s Prelife Reasoning
January 27th, 2014
By Barbara Moran