社会・国・世界

日本への原爆投下について、子供に伝えたいこと

398px-Atomic_Bomb_Dome,_Hiroshima_(7170065446)_(4)長男の友人のお母さんと話していて。 ○○(長男)、夏に日本へ行くって聞いたわよ、最高ね、日本のどこ? 名古屋と広島と東京の予定。えっ、広島? そうなの私の母方が広島で。そうだったの! ○○(息子君)の歴史プロジェクト(今八年生が取り組んでいる)ね、「原子爆弾についての権利と責任」がテーマなの。もう少し話聞かせてもらっていい?
 
そこから原爆の話になり。
 
 
母方の親戚は母も含め皆被爆手帳をもっている、伯母が一人即死、母は胎内被曝、私も三世、子供達は四世。
 
その夜、子供達とも話し合いました。
 
 
まず、こちら米国で主流の考え方: 一般市民の多くが無残に亡くなり痛ましいこと、それでもあの戦争を止めさせるためにはやむを得なかったんです。もしあそこで原爆を落としていなければ、日本本土決戦となり、日本米国両者により多くの死者を出すことになっていたでしょう。
 
子供達も、周りのこうした圧倒的な雰囲気を感じています。
 
 
そしてあの大戦を終わらすためにやむを得なかった」という論の「不当性」についての言説や調査は、米国側からも出ていますが、公に報道されることはほとんどありません。
 
・連合国側からの海上封鎖などが効果をあげており、日本は当時戦力も既に随分と落ちていて、降伏は時間の問題であったこと。
 
・無人の地に落とすなど核の威力を見せ付けることで、もし降伏しないのならばこれを落とすとすれば十分であったこと。(「マンハッタン計画:第二次世界大戦中連合国側による原爆製造計画」の科学者もそう提案)
 
・「戦争を止めさせる」が目的ならば、日本への原爆投下について極秘を保つのでなく(直前までトップシークレットとされた)、日本側にも何度か警告することで十分に効果を得られたはず。
 
少し調べてみると、本当に「やむを得なかった」?と疑問が湧いてきます。他に理由があったんじゃない?と。
 
 
例えば、
 
・広島ウラン型、長崎プルトニウム型と違う種類が用いられたのですが、「トリニティ実験」(日本原爆投下約一ヶ月前の七月十六日に米国で行われた人類初の核実験)ではプルトニウム型のみが用いられ、ウラン型との比較実験データが欲しかった。
 
・米国の威力を世界に見せ付けるためだった。
 
といった説もあります。
 
私自身は、こうした米国の野心が大きく絡み、その上で、各地の戦線の状況から「最後の一人になるまで闘うだろう有色人種日本人」というイメージが行き渡るなど、世論を納得させられる状況が揃っていたため、ということだったのではと思っています。
 
 
 
 
また、歴史や世論と言うのは、勝者側によって作られるとも思っています。
 
「ドイツがアメリカに原爆を落としたとしましょう。その後ドイツが戦争に負けたとします。その場合我々アメリカ国民の誰が”原爆投下を戦争犯罪とし、首謀者を極刑に処す”ことに異議を唱えるでしょうか?原爆投下は外交的にも人道的にも人類史上最悪の失敗だったのです。」
 
そうマンハッタン計画参画の科学者 レオ・シラードが言うように、もし敗者側が原爆を落としていたのなら、原爆投下に関わった人々、軍上層部からエノラ・ゲイの乗組員から逐一戦争犯罪の裁きを受けていたでしょう。
 
 
 
こうして米国側の問題を並べましたが、同時に、世界の状況を見るとき、枢軸国であった日本も随分ひどいことをしていたのも事実であり。天皇を「神」とし(天皇の本意かどうかは別として)、「大日本帝国」を広げようと周辺諸国へ侵略し。そこでの行為のひどさの度合いについては、様々な意見もありますが、決して許されるべきではないことも多く含まれていたと思っています。
 
 
 
 
子供達には、次の三点を覚えておいて欲しいと話しました。
 
1.大多数の人々が「正しい」と思っていることを鵜呑みにせず、様々な方面から情報を集め、「本当のところはどうなんだろう」というスペースを残しておくこと。
 
2.いい面美しい面だけを見るよりも、弱く間違った部分を見、それらがより良くなるために自分にできる限りをすることこそが、その人その国を愛しているということ。
 
3.生身の人の温もりを決して忘れないこと。こうしてテーブルに向かい合い、こちらでは何万人の被害で、あちらは何十万人死傷者が出たと話しているけれど、その一人一人の流す血の赤さや痛みの大きさを想ってみる。日本であろうと米国であろうとアジアの周辺諸国であろうとヨーロッパであろうと、そこに暮らす一人一人も、愛する人々と共に、あなたたちのように全く同じ温もりを持った日々を過ごしている。
 
 
 長男は七年生の時、科学のプロジェクトで「マンハッタン計画」を選んだのですが、製造に関わった多くの科学者が、原爆投下前に何とか投下を止められないかと米国政府に働きかけ続けたこと、投下後も平和運動に熱心に取り組む科学者がいたことを話してました。
 
 そして、日本が犠牲になることで、その後ジュネーブ条約にも核爆弾を用いてはいけないという条項が付け加えられ(「非戦闘民に手を加えてはいけない」という条項がそれ以前にもあるので米国による都市への絨毯爆撃、原子爆弾は既に違法ではあるのでしょうが)、用いられなくなった。もしあの時日本に落とされていなかったら、ベトナムか中東か朝鮮に広島長崎の何倍もの威力の核爆弾が落とされていたかもしれないよと。
 
 
長男、夏に広島へ行く前に、引き続き話し合っていこうと思っています。
 
 
 
写真 b
y BriYYZ from Toronto, Canada  Wikimedia Commonsより
 
 
 

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