シュタイナー教育

シュタイナー教育

001ウォルドルフの教室に入ると、淡いピンクやオレンジの柔らかな色彩に包まれます。人形たちが揺りかごに眠り、キッチンにはどんぐりや貝殻が調理されるのを待っていて、バスケットからは大小の積み木が顔を出し、棚に並んだ王様やお姫様の冠の下には絹のケープが揺れています。台所からは野菜スープの匂いがし、エプロンをした先生がゆったりとした笑顔で迎えてくれます。ウォルドルフのプレスクールに見られるこれらの家庭的な雰囲気は、家庭から学校という子供にとっての大きな移行が、より自然に円滑になされるようにと考えられてのことです。先生はめったに大きな声を出すことがなく、静かに歌うように話し、教室全体の子供達の様子を細やかに感じ取りながら、ゆっくりと動きます。

 

モンテッソーリ式の学校から移った当時の長男は、ぎこちなく、「僕はここで何をしたらいいの?」と戸惑っている様子でしたが、次第にほぐれ、しばらくするとのびのびと遊びまわるようになりました。積み木を組み立て城を作り、冠をかぶってケープを首に巻き、人形をハイチェアーに座らせどんぐりのパスタを食べさせ、プレスクールの庭へ出れば枝や石で隠れ家を作りと、すっかり想像遊びに夢中でした。

 

 

・費用は高め

北米のウォルドルフの学校は、普通の学校より月謝が高めです。「育児の価値」を重視するため、先生やスタッフに支払われるお金もそれなりである必要があるということと、自然素材手作りの遊具や身の回りの品々、またオーガニックのスナックなどを用意するため教材費等が割高になるためだと言われています。元々はドイツの低賃金工場労働者のために開かれた学校だったウォルドルフですが、特に北米では正規の学費を払おうと思うのならば、裕福家庭でしか通わせることが無理なほどの料金設定となっているのが現状です。当時の我が家の家計では、週二日各三時間長男長女合わせて月五万円近くという額を捻出するのは難しいことでした。そこへ長男長女を受け持って下さったA先生が配慮して下さり、教室での後片付けや掃除などを手伝うという条件で、月謝をディスカウントして下さったのです。こうして我が家もウォルドルフへ通い続けることが可能となりました。

 

三番目の子供を背負いながら、A先生の教室で皿洗いをしたりと過ごす時間が好きでした。そしてA先生のクラスで過ごす時から、たくさんのことを学んだのです。ハーバード大学大学院で心理学を学び、心理学者としてセラピーにあたっていたという経歴を持つA先生は、問題を抱える大人に日々接するにつれ、問題の根は幼少期にあると、ご自身の娘さんがウォルドルフのプレスクールに入ると同時に、アシスタントとして働き始めました。

 

「とてもやりがいのある仕事よ、知的面でも情緒面でも」

 

私にウォルドルフのトレーニングを受けて、アシスタントになってみないかと勧めた際、そうおっしゃっていました。

 

 

・独特の世界観に基づいた教育

シュタイナー教育では、ルドルフ・シュタイナー氏の考えた「人智学」という立場から人間というものが捉えられます。人智学では、人の本性とは物質からなる「肉体」、生命の源である「エーテル体」、感覚感情を司る「アストラル体」、意識の座である「自我」の四つからなるとします。そしてそれら四つの本性に適切な時期に働きかけることで、人が本来あるべき健全な姿に育つといいます。

 

また人の発達は七年周期で訪れるとされます。零歳から七歳までは、まずはしっかりとした身体を作ることを中心に据えることで、その後強い意志をもった行動を取ることのできる人へと成長するとします。身体作りのためには、知的面の成長は避けるべきだともされます。七歳から十四歳までは芸術を通し感情面を発達させ、「世界は美しい」と感じさせる時期です。小学一年生から楽器を習い、オイリュトミーという独自の「運動芸術」が取り入れられます。十四歳から二十一歳になり、抽象概念を操る力や思考面が発達するとされます。こうして、意志・感情・思考といった順で時間をかけ発達させることで、二十一歳を過ぎた頃に、健全な自我が完成すると言うのです。

 

そして四つの本性のバランスの偏りによって、人には四つの気質が在るとし、教師は子供一人一人の気質を見極め、対応する必要があるとします。例えば、自分の殻に閉じこもりがちな「憂鬱質」な子には、深い愛情と共感を、おっとりぼんやりした「粘液質」の子には、励ましやテンポの早い遊びなどを、活気に満ち陽気で気まぐれな「多血質」の子には、一つのことをやり通す大切さを、意志が強く自己主張のはっきりとした「胆汁質」の子には、忍耐と深い理解をもって接するといったようにです。

 

シュタイナー自身が、「人智学を基礎とする教育方法は、本当に独特のものを基盤としています」と言うように、シュタイナー教育とは、シュタイナーの描いた特殊な世界観に基づいています。

 

 

・多くのことを学んだプレスクール生活

シュタイナー教育から学んだことはたくさんあります。

 

1.子供と共に今を楽しむ姿勢

「子供って完全に今にいる(present)でしょ」、白木の積み木で夢中になって遊ぶ子供達を前に、そうA先生が微笑んでいたのを思い出します。確かに子供というのは、過去や未来を思い悩むよりも、常に目の前の「今」に夢中です。対して大人といったら、常に過去を引きずり未来について気を揉み、今を楽しむということがほとんどないのかもしれない、そう気づかされました。

 

2.遊び心を思い出し日々の生活に生かすこと

ウォルドルフでは親だけが集まる会が年に何度かあります。そこではクラフト作りをしたり、詩を詠んだり、リズムに合わせて歌ったり身体を動かしたり、日常の雑事から離れ「遊ぶ」ことで、「童心」を思い出します。

 

子育てに必要なのは、あれもこれも教えなければと凝り固まった姿勢ではなく、こんな「遊び」の心でもあるのだと気づかされました。子供は遊びの天才です。目の前に小枝や石ころがあれば、夢中になって長い時間過ごすことができるものです。大人になるにつれ忘れてしまったそんな心を、ウォルドルフは鮮やかに蘇らせてくれました。

 

シュタイナー教育ではテレビを見せてはいけないとは、よく聞くことですが、遊びの楽しさを知れば知るほど、テレビを見ている時がもったいないと思えてくるものです。周りにはこんなにも遊びの要素が溢れているのに、テレビを見るということは、遊びを停止することでしかないのです。

 

3.子供は模倣を通して学ぶということ

シュタイナーの幼児教育で中心となるのが、「子供は模倣を通して成長する」という教えです。例えば木に囲まれた裏庭で、男の子が鋤をフェンスにがんがんと打ち付けて遊んでいるとします。A先生は傍に行き、そっともう一つの鋤を手に取り、楽しそうに歌いながら落ち葉を掻き集め始めます。すると、いつしかその男の子もA先生の真似をして、落ち葉を掻くことに夢中になるのです。「だめ!」と口で諭すのではなく、鋤はこうして使うものなのよと、まずは身体で示すのです。お友達を叩いてしまった子には、まずはその子の手を両手で包み込んで温め、落ち着いたら人形を静かになでたり、どんぐりの入ったカップを差し出したりと、一緒に遊び始めます。「そんなことして!」と声を荒げるのではなく、先生がまずはモデルを示すことで、手は叩くものではないのだと身体に染み込ませていくのです。身体で示すことは、口で諭すよりも時間がかかるかもしれませんが、より深く子供の身につくのだと、教室で過ごす間に、実感したものです。

 

また子供は大人の真似をして成長するという教えは、より少しでも未来の世界を担う子供たちのモデルであれる存在に近づけたらと、自分自身を見つめる大切さを教えてくれました。子供に囲まれて暮らす日々、こんな私だけれど少しでもと、背筋が伸びます。私がウォルドルフのプレスクールに子供たちを通わせたいと思うのも、周りの大人達が、「自身がモデルである」と自覚しているというのが大きいです。教師達は毎朝輪になり、歌い、祈り、心を整えます。口先であれはいいこれはだめと説くのではなく、子供達のモデルであるために、周りの大人が内省し自身を磨き成長していくこと思い出させる仕組みが、ウォルドルフにはあります。

 

4.繰り返しのリズムを大切にすること

ウォルドルフでは、日々のリズムが、とても大切にされます。毎朝森を散歩し、季節の移り変わりを肌で感じた後は、サークルになって詩を唱え、自由に遊び始めます。遊びの合間に、月曜日は三色を使った滲み絵、火曜日はパン作り、水曜日は野菜スープ作りなど、曜日によって決まったアクティビティーがあります。そしてライヤーというハープを小さくしたような楽器が静かに奏でられ、片付けの時間です。部屋が整えられると、スナックを囲み感謝の言葉を捧げます。スナックの後には先生のストーリーテリング、最後にまた外遊びに出かけます。こうして毎日一定の流れが繰り返えされます。日々の安定した繰り返しのリズムによって、子供達の気持ちが落ち着き、健やかな成長が促されるとされるのです。

 

また季節のリズムへの細やかな眼差しも、大切にします、毎朝皆で森を歩き、葉の色、頬をなでる空気の温もり、日差しの眩しさ、湖の水の冷たさの移り変わりを、肌で感じます。教室に戻れば、テーブルや棚の上には、色鮮やかな花々、様々な形をした貝殻、松ぼっくりやカラフルな葉、雪の結晶のモチーフなどが飾られています。冬至や春分など、季節の節目には、皆で食べ物を持ち寄り祝います。ウォルドルフで一年を過ごすことで、それまでなんとなく通り過ぎていた風景が、鮮やかに色を持ち始めたような気持ちがしたものです。一日一日が、より豊かに彩られていくようでした。

 

5.自然素材の手作りの玩具や用具を用い、量より質へ、物質的豊かさから内面的豊かさへ

 教室では、ベルトコンベアーに乗って大量生産されるプラスティックの玩具よりも、自然素材の手作りの玩具や用具が用いられます

自然素材の手作りの玩具や用具が用いられます。先生は、子供達が遊ぶそばで、実際に人形を縫ったり編んだりしています。一つ一つ心のこもった玩具に囲まれる時は、創造的な気持ちを湧き立たせてくれると同時に、ぞんざいに扱い、次から次へと使い捨てるといった態度ではなく、一つのものを長い間大切にするといった姿勢の貴さを教えてくれました。

 

またそれら手作りの人形の顔には、目鼻口が描かれておらず、それは子供自身が様々な表情を想像できるようにと考えられてのこととされます。絵本も置かれておらず、想像力をより膨らますためストーリーは全て口頭で語られます。

 

長男の四歳の誕生日に、こんなことがありました。お友達をたくさん招いて誕生日会をしようと思うと言う私に、A先生は、「年齢プラス一くらいの人数に囲まれるくらいで、丁度いいのよ」と静かに言ったのです。五人というと、家族の人数でいっぱいです。プレゼントに囲まれ、盛大に華やかにと描いていた誕生日会は、家族で手作りのプレゼントを囲み、歌い笑いといったこじんまりとそれでも温もり溢れる会へと変りました。

 

ウォルドルフの教室で過ごす内に、もっともっとと外へ向かう姿勢は、より内面的な豊かさの溢れるイメージへと、移り変わっていきました。

 

・プレスクールのみウォルドルフという選択

 

それでも随分と悩んだ末、小学校からは、子供達を違う学校へ通わせることになりました。一つには、アラスカには中学までしか、ウォルドルフの学校がないということがありました。十二歳頃から知的面の発達の加速を始めるというその教育思想から、ウォルドルフで学んだ小学生というのは、周りの学校に比べ学力的に遅れています。中学からの加速によって、普通の高校生並みの、または追い抜くほどの学力になると聞きますが、それも個人差があるようで、高校からいきなり普通の学校に入れるということで、果たして学力的についていけるのかという不安がありました。またメソッドも雰囲気も全く違う公立の学校に、高校から入るということで、適応できるのかという懸念もありました。

 

 

もう一つには、シュタイナー教育における知的面への働きかけの、時期とやり方について難しく感じ始めたということがあります。三才頃に「なに?なぜ?」と溢れる知的好奇心を、空想上の物語などでのみ説明することに、難しさを感じるようになっていったのです。

 

例えば、朝窓を開け霜が降りている芝生を前に、「あたり一面真っ白!これなあに?」と叫ぶ子供に、「ジャッキーフロストという妖精があなたの寝ている間に真っ白に塗り替えたのよ」と答える。それは想像力を掻き立て、詩的で素敵な答えです。それでもそういった答えでは納得しない子供もいるのだと、家の子供達を見ていても周りの子供達を見ていても思います。

 

「これは霜といってね、日が沈み夜の間に気温が下がることで空気中の水分が草花の表面に触れたとたん氷となったのよ。触ってみて、冷たいでしょ?」

 

そう説明した方が、目を輝かせて喜ぶ子もいます。

 

これほど情報が溢れ、小さな頃からメディアに触れ続ける現代の子供達、空想上の御伽噺を信じるということは難しいのかもしれない、そう思ったものです。それでもウォルドルフには、そういった御伽噺を信じる子供こそが「子供らしく」、子供を「子供らしく」あらせようという強い方向性がありました。知り合いのウォルドルフに通う息子さんは、三年生になっても「ピアノの練習をするとドラゴンが飴玉をくれるんだよ!」と本気で信じています。ピアノの練習をした後に、ママが壁に隠れドラゴンのパペットを手にそっと飴玉を差し出し続けているのです。私自身、こういった御伽噺の世界が大好きです。そして五人の子供達の中にも目を輝かせ喜ぶ子もいます。それでも、全ての子にしっくりとくるわけではないのだなと、思い知ったのです。

 

アインシュタインの「想像力溢れる人物に育てたいのなら、子供時代にもっと御伽噺を!」という言葉は、ウォルドルフの宣伝によく用いられるものです。子供時代想像上の物語の中に住まうことで、大人になってからも想像力そして創造力溢れる人に育つ、そしてそういった内に物語を秘めた人々こそが、次の世界を作っていくのだとするウォルドルフ。「七歳までは夢の中」、そして十四歳までは「世界は美しい」と感じられるようにと、ウォルドルフの子供達は、空想上の美しい夢の中に住み続けます。内にしっかりと桃源郷を築いた子供は、どんな環境におかれたとしても力強く歩いていくことができるという考えに心から同意しつつも、問題の溢れる厳しい現実世界と、ウォルドルフでの天国のような美しい世界とのギャップに、戸惑う自分がいました。いつまでどの程度子供達を、この厳しい世の中から守り続けていくのかという葛藤もありました。

 

それでも子供達を、ウォルドルフのプレスクールで学ばせ続けたのは、ひとえに、それらの葛藤以上に、素晴らしいと感じる要素に溢れていたためです。ウォルドルフで学んだ多くのことを大切に胸に抱き、生かし続けていきたい、そう思っています。

 

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