シュタイナー教育

山姥というビジュアルイメージ

004ウォルドルフ(シュタイナー教育)のバイオグラフィー・ワーカーなる資格を三年かけて取得した友人。来週NYでワークショップをするそうで、その予行練習の実験台にならないかと声をかけて下さった。
 
 
もう一人の友人と三人テーブルを囲み。次男、仲良し息子君と傍らで遊びつつ。
 
 
青森県八戸市の山姥の民話のストリーテリングで始まる。

 

 

・「山姥ってね、私の子供時代、悪夢に出てくる常にコアのキャラクターでね」と言う私。
 
 
自らの想像が作り出したイメージというのはね、決してその人を苦しめないと言われるのよ」と友人。
 
 
この説明、とてもすとんと納得しました。子供時代、悪夢に出てきた山姥、アニメで見た『日本昔話』のフィギュアそのままの姿形でした。ものすごく大きな顔に大きな目に白い髪、いつも橋の上に立っていて。
 
 
テレビや絵本などの外からのビジュアル・イメージ、それは時に強すぎる子には強すぎるのかもしれないなと。私自身怖い映像というのは今も苦手なのですが、子供時代はかなり極端でした。地震のニュースを見た後、何ヶ月も苦しんだり。我が家の子供達を見ていても似たようなところがあります。小さな頃は他の子達が平気な映像でさえ、泣いたり隠れたり。「どうしたらこのイメージを頭から取り除くことができるの?」そう泣きながら聞かれたことも何度か。悪夢になって出てくるの~と。着ぐるみなどに出会ってもこの世の終わり状態に。
 
 
昨夜そんな話を子供達としていると、小さな頃確かに色々怖かったけれど、今は本を読んで映画を見ると、台無しにされたと感じることがよくあるなあと。
 
 
ウォルドルフが、小さな頃は絵本さえ用いずストリーテリングに徹するというの、「想像力を豊かにするため」などの説明がありますが、「自分を脅かすことのない想像の世界」といった面もあるのだと、私にとってかなりの「ああそうかあ!体験」でした。
 
 
 

・山姥の民話を聞きながら、どうしても意識が飛びます。これは人の話を聞いている時も感じること。耳から入ってくる情報のみだと、私は吸収が弱い。ここに目で追う活字が加わると、断然頭に刻まれやすい。
 
 
そんな話をシェアすると、マルチセンサリー学習の話などに。子供によっても、聴覚優位視覚優位触覚優位などがあるだろうねと。
 
 
昨夜子供達ともそんな話に。長男は聴覚視覚というのはどちらでもいいんだけど、「物語」になっていると瞬時に頭に焼きつけられると。記憶世界チャンピオンが数字の羅列をどう覚えるかの説明で、自分はそれぞれの数字を物語りに仕立てるんだ(たとえば六はろくろくび、八は蜂にして物語)と言うのを聞いたことがあるけれど、だったらファクトが並んでいるような情報も、物語仕立てにする手があるねと。長女は、耳からのインストラクションはどこかへ飛んでいってしまうと、だったら活字と合わせて頭に入れるようにするといいね。次女は目からだけでなく、声を出したり耳からも入れるとよさそうと。他にも動きながら、踊りながらとか、何でもよさそうな方法試してみよう、そう盛り上がり。
 
 
 
 
・民話を聞いた後、印象に残るシーンを絵で表し、三人の描いたものをストーリー順に並べ、それぞれの絵を擬態語で表してみる。ピンとくる擬態語を手に、最近感じたことに繋げて話す、そうワークショップは進みました。
 
 
私の描いた二枚のシーン、牛方が山姥に川岸に追い詰められ枯れた柳の木と生き生きとした柳の木を前にするシーンと、駆け込んだ民家の女性に栃の実を渡され天井裏に隠れるシーン。さっと深く考えることもなく選んだのですが、「柳」と「栃の実」は、牛方を救うことになるもの。私は「希望」のようなものを、見つめていたいんだな、そう感じたり。

 

 
 
 
「山姥、いなくなるといいね」と友人。
 
 
「うん、今は一緒に陽だまりでお茶を飲んだりできる仲かもしれないな」
 
 
顔を見合わせて笑い、集まりを後に。

 

 
 
様々な気づきがあり、感性が刺激され、とても面白い一時間でした。ありがとう。

 

 

友人は幼児教育に携わりつつ、「バイオグラフィー・ワーク」をライフワークにしたいのだそう。

興味のある方はこちらへ:primrose_garden@yahoo.com

 

 
プレスクールクラスルームにて。

秋。

いいね、このきのこ。

三人の描いた絵。

 

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