先日、
ママこのTED見て!と長男十四歳。
MIT教授のニコラス・ネグロポンテ(Nicholas Negroponte)氏が、
これまでの自身の活動、
そしてこれからのプロジェクトなどについて今年三月に話したものでした。
(〝A 30-year history of the future”)
「私は未来に何度か行ったことがあるんです」
とネグロポンテ氏。
これまで何度か、
「これからこんなことが可能になります」と予想し、
その都度、
「そんなわけがない!」と嘲笑われ一蹴され。
例えば、
七十年代に考え出した「タッチセンサー」。
スクリーンに「指」を使うなんて、
指で画面を塞いでしまって不便、
スクリーンが汚れるなどの理由で、
「馬鹿げている」と受け入れられず。
1976年のフランス航空機のEntebbeハイジャック事件では、
政府に協力し、
コンピュータによる救出作戦のシミュレーションができないかと、
砂漠に作られた模型を走る積んだトラック装置を考え出し。 そのトラック装置がその何年後かに、
「グーグルマップ」の「ストリートビュー」を可能にし。
それでも多くの人は、
これらが「シリアスなコンピュータサイエンス」とは捉えなかったと。
1980年には、
「コンピューティングというのは、
もはやコンピュータというより生活そのものになります」
と言ったもののほとんど関心を集めず。
1995年には、
「MITのメディア・ラボのディレクター、ニコラス・ネグロポンテ氏は、
『すぐに本や新聞をインターネットから直接購入するようになるだろう』
と予想しています。
そんなことあるわけないじゃないか」
とニューズウィーク誌に記事が載り。
これらは、
いかに人というのが、
何が起ころうとしているのか本当には見ようとしないということ示している、
とネグロポンテ氏。
現在氏は、
子供用のプログラミング言語「ロゴ」を考え出し、
子供達にコンピュータープログラミングを教えることの重要性を説く
数学者で教育者のシーモア・パパート(Seymour Papert)氏に深い影響を受け、
「一人の子に一台のラップトップ(One laptop per Child)」運動を進めています。
カンボジアやエチオピアでの事例により、
ラップトップがいかに教育向上に役立つかを示し、
世界中の辺境の地に住む全ての子にも、
一台百ドルのラップトップを行き渡らせることを目指していると熱く語り。
まるで未来へ実際行ったかのように、
次々とその通りになってきた氏の予想、
では、
この先三十年後にはどんなことが起こっているか?
そう聞かれた氏の答えは、
「『読む』という学習のあり方の変化」でした。
「私達は『目』を用いて多くの情報を吸収してきました。
それは多分あまり効率的ではありません。
そこで私が予想するのは、
情報を摂取(ingest)するようになるということです。
ピルを呑んで英語が分かるようになり、
別のピルを呑んでシェイクスピアが分かるようになる。
情報が血流を通って脳の様々必要な箇所に届けられるんです」と。
三十年後、
こ、こんなピルが実現するとするなら、
すごいことですね。
「より知っている」ということは何ら問題ではなくなり、
「それら知識をどう用いるか」ということがより重要になるのでしょうか。
長男がこのTEDを見て!といったのも、
実は三年ほど前お友達と、
「将来、注射一本で知識は吸収できるようになる。
そうなったら今ある学校なんて必要なくなるね」
と話していて(過去記事「子供言葉」)、
「ほら、あの時と同じこと言ってる!」ということだったのですが、
こういうことは、
子供達も素朴によく考えることなのかもしれませんね。
山のように暗記しなければならない課題を前に、
ああ、こんな注射があったらなあと。
ネグロポンテ氏自身、
ディスレクシア(読字障害)で「読む」ことに苦労したと公言しているのですが、
氏にも見られるディスクレシア特有の「創造性・優れた空間認知力」などが、
こうしたピルにより、
より社会に生かされるようになるのなら素晴らしいことですね。
さて三十年後、
もし「知識」を摂取してしまえるとするなら、
子供達は何を学ぶ必要があるのでしょうか。
「知識」をどう組み合わせ生かすか、
「考える力」や「バリュー・価値体系」ということになるのでしょうか。
「人は、本当に何が起ころうとしているのか見ようとしない」
ネグロポンテ氏の言葉、
思い出していきたいです!
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