幸せ

子育て幻想、幸せ感の平均値と瞬間瞬間の幸せ感と

「エレベーターの笑い声」を書きながら、随分と前に見たTEDのスピーチを思い出してました。
 
人気サイトNerve and Babbleの創設者Rufus Griscom 氏とAlisa Volkman氏夫妻による「子育てのタブー」についてのものです。
 
初めての子の出産を前に、幸せ感一杯だった夫婦、天使のような子を抱き微笑む姿をうっとりと思い浮かべ。ところが生まれてみれば、昼夜構わず泣き続ける赤ちゃんを抱き、髪振り乱し寝不足のげっそりとした自分達の姿。赤ちゃんが大きくなれば状況は変わるかと思いきや、次から次へと問題は溢れ、二人目三人目と生まれる内に、もう家の中はカオス。
 
巷に溢れる「ハッピーファミリー」のイメージ。
happy family
 
それでも目の前の三人子持ちの現実とは、こんなイメージとは全く違うものでしたと。
 
 
 
夫妻は、子育てについて語ることがタブーとされている四つのトピックを挙げます。
 
1.生まれたばかりの赤ちゃんを初めて見たとき、愛情が湧き上がらなかった。
 
一目見て溢れんばかりの愛情が湧き上がりといかない場合も多いもの。
 
 
2.赤ちゃんを持つということがどれほど孤独であるか。
 
それまで付き合っていた人々とは、生活リズムもがらりと変わってしまうもの。寝不足よれよれ状態で家の中に閉じこもり、社会から全く孤立したように感じてしまうことも。
 
 
3.流産について。
 
15-20パーセントの妊娠が流産に至るにも関わらず。流産を経験した女性の74パーセントが、流産を自分のせいだと思っているという調査も。
 
 
4.「幸せ感の平均値」は低くなった。
 
社会心理学者Daniel Gilbert氏の研究に基づき、夫妻が様々な人々にインタビューし出来上がったグラフが以下のものです。
 
幸せ感の平均値グラフ
average_happiness_vs_transcendent_moments2
        青年期  独身期 初めての子出産     子供が家を出る

 
独身期から結婚し初めての子が生まれる前までが幸せ感平均値のピーク、それから平均値は下がる一方、そして子供が家から巣立つ時、再び上がり始めると。
 
若い人々、そしてこれから子供を持つ夫婦にとって衝撃的な事実、夫妻はこのチャートを「新米の親にとって想像し得る最も恐ろしいチャート」と呼びます。
 
 
ところが、これはあくまでも「平均値」なんですね。
 
 
瞬間瞬間の幸せ感を忠実にグラフに反映するとなると、以下のようになると夫妻は言います。
 
 瞬間瞬間の幸せ感グラフ
average_happiness_vs_transcendent_moments3
        青年期  独身期 初めての子出産     子供が家を出る
 
思春期から青年期にかけての幸せ感の振れ幅、それが独身期から結婚し初めての子が生まれるまでの間、安定していきます。そのため絶頂からどん底の差が少なくなり全体的な「平均値」は上がっていきます。ところが、子供が産まれると、またこの絶頂からどん底までの差がとてつもなく開いていきます。幸せ度の最高値は大きく上がれど、どん底度も激しく下がる。そこで、幸せ感の平均値としては結果的に下がる。それが子供が巣立つにつれ、再び安定し、平均値は上がっていく。
 
 
このグラフを見た瞬間、私自身、まさしく!と思いました。
 
泣き叫ぶ赤ちゃんを抱き朦朧とした意識で世界中から一人孤立してしまったように感じ、それでも次の瞬間、スヤスヤと眠る天使のような赤ちゃんの小さな手を握り幸せ感絶頂。
 
駄々こね言うことを聞かない子に切れ、自己嫌悪に落ち込みどん底を這い回っているような気持ちになり、しばらくしてはいと差し出す子の描いた「笑顔のママと手を繋ぐ僕」の絵に、つい涙ぐみ幸せ感増大。
 
思春期の子の反抗にかっかしながらも、将来について熱く語る姿にここまで育ったんだなあとしみじみ幸せ感マックス。
 
先の「エレベーターの笑い声」も。幼い姉と弟が病院の待合室で繰り広げるはちゃめちゃドラマに「まいった・・」と天井を見上げ思わずため息をつき、そうかと思うと次の瞬間には、皆でクスクスと笑い、エレベーターを降り笑顔でバイバーイと手を振り合う子供達を微笑ましく見守り。その後には、再び車の中の姉と弟のシールの取り合いに「まいった状態」になるかもしれませんし、すっかり疲れて二人スヤスヤとお昼寝する天使のような姿に、ほっと胸を撫で下ろすのかもしれません。
 
 
子育て期は、どん底と絶頂の差が果てしなく、それも瞬時に入れ替わってしまったりするダイナミックな期間。
 
それを「平均値」におさめてしまうならば、上の「幸せ感平均値グラフ」のようになるんですね。
 
 
 
では、この「平均値」をどうやって上げていけるか?
 
夫妻が提案するのが、幸せ感絶頂期だけをかいつまんで取り上げたような「ハッピーファミリー」のイメージだけでなく、四つのタブーも含め、子育てには様々な面があるのだといった現実的な情報がもっと溢れていくといいのではないかと。
 
確かに、「こうあるべき」というようなイメージの先行と、現実とのギャップにより落ち込みが激しくなるということはありますね。タブーについても自覚しているのならば、きつい時を歩き続ける耐性も備えられます。
 
 
 
 
きつい時辛い時、少しズームを引いて、この「瞬間瞬間の幸せ感チャート」を思い出してみるのもいいかもしれません。
 
私達はどん底ばかりに留まっているわけでは決してなくて。
 
しばらくするなら、奥深くから湧き上がる喜びに打ち震えているのかもしれない。
 
そして暗闇に見えるこの瞬間にも、ふと顔を上げ視点をずらすのならば、そんな喜びの萌芽が散りばめられていることに、気がつくのかもしれません。
 
 
 
泣き顔、笑顔、怒り顔、喜び顔溢れる時、今日も子供達と楽しみたいです。
 
読んで下さりありがとうございます。
 
皆様、新しい週、素晴らしい日々を!
 
 
 

4 Comments

  • 長岡真意子
    October 1, 2014 - 2:04 am | Permalink

    他者との葛藤を通し、自分の枠を超え、より大きな自分を見出していく、そう志向していけたら。葛藤の中で、とてつもなく小さな自分、エゴにまみれた自分と付き合いつつ。そんなことを思います。ありがとうございます。佐々木さん、どうぞ今日も良い日をお過ごしください!

  • September 30, 2014 - 5:10 am | Permalink

    コメントへのお返事を見て、これまでの話題との関連を考えてみました。畢竟「最も身近な他者」との葛藤というのは、前回の話題にてらすと、小我と大我との間を行き来する体験に相当するのではないかと思いました。

  • 長岡真意子
    September 30, 2014 - 2:47 am | Permalink

    佐々木さん、コメントありがとうございます!
     
    「最も身近な他者」との体験が、ダイナミックな幸福感の振れ幅に関係しているというの、なるほど!です。思春期は「性」を意識することで、またそれまで自分との境界が曖昧でもあった親をより「他者」として意識することで、「最も身近な他者」との葛藤が激しくなる時期。
     
    そして親となり体験する、子供との関係。「自分の一部のようであり、自分とは全く違う存在」と、日々四六時中密に過ごす子育て期。
     
    「過干渉」と「ほったらかし」の間を行き来しながら、何とかちょうどいい着地点はないものかと模索し。自立独立をゴールに据えながらも、「自分の一部」のような錯覚から、ついつい自分の枠内に囲ったままにしておきたいと動いていたり。子育てはまさしく「アンビバレントな情況」の中での試行錯誤です。
     
    マイスター・エックハルト氏の、「私より私に近い存在」と「神」について表した言葉を、思春期の恋愛対象や、子供に置き換えてみる。すると、なぜこうも幸福感がアップダウンするのかと、見えてくるようでもあるというの、とてもストンと納得しました。
     
    「自分自身より大事な存在が、目の前で迷惑なこともしてくれる」、まさしく! そこに深く自身の存在がえぐられるような落ち込みも体験し、同時に、自身を超え大切に感じるものがあるという深い部分での喜びも味わうことになる。
     
    「自分自身より大事な存在」、恋愛対象や子供の先に、神学者エックハルト氏の言う「神」といった超越した存在があるなら、「救い」ですね。そうならば、そこに行き着く前で、アップダウンのジェットコースターに乗っている毎日も、ぎゃーと叫びながらも、楽しんでいる自身を見出せるのかもしれません。
     
     
    この「子育て期を体験せず定年までサラリーマンの父親」というの、年月と共に変化してきていますね。こちら米国でも、父親が子供と過ごす平均時間は、1965年では一週間に2.6時間だったのに対し、2000年には6.5時間に、専業主夫(stay-at-home father)も十年前に比べると三倍に増えているなんていうデータなどあります(少し前にまとめたものを見返してました)。七十年代には、「オムツなど替えたことがない」という男性がほとんどだったのに対し、今では「オムツを替えたことがない」というのは恥ずかしいという認識が、父親の間にあるとか。
     
    私自身、父と共に家族で団欒といった思い出は、本当に少ししかありません。それでも成人して随分してから、「直接的に育児に関わらずともどれほど家族のことを思っていたか」というような言葉を父から聞き、はっとさせられたことがあります。密に過ごすということはなかったものの、「自分自身より大事な存在」、そこに確かに「会社」や「組織」の他に、「家族」というものがあった、ただ表され方が違ったんだなと。
     
    これからは、ますますパートナー共に子育て期のアップダウンを体験するカップルが増えていくのでしょうね。母より父のみでということもあるのでしょう。
     
    佐々木さんのコメントに、子育ての日常の中で、また違った角度から様々眺める機会をいただいています。ありがとうございます。こちらも月曜日始まりました。当たり一面黄金色。まぶしーです。どうぞよき日々をお過ごしください!

  • September 28, 2014 - 1:27 am | Permalink

     このグラフはおもしろいですね。思わず、私ぐらいの年齢の日本人で、仕事人間として子育ては妻まかせ、サラリーマンを定年まで続けた男性のグラフを想定しました。その想像される単純さから、このグラフに重ねると皮肉な結果が出そうで笑ってしまった。

     それはさておき、思春期・青年期の振幅は分るとして、子育て期にも大きく振れるのは盲点でした。青年期といえば、大人の仲間入りをして、本格的に「他者」と向かい合うことになる時期。ことに恋愛などは、異性(でなくても良いが)という最も身近な他者経験の場でもあります。いささか無理があるでしょうが、子育て期の子供というのも、母親にとって「最も身近な他者」とは言えないでしょうか。

     「最も身近な他者」という語義矛盾とも思える状況こそ、まさに「幸せ感の振れ幅」を大きくするものではないかと思います。家族という枠組みの中では他者でも他人でもないわけですが、それが一対一で母親と子供が向かい合うとき、そこでは他者としての顔をもちます。なんといっても、子供の重要な仕事の一つは、そういう親から独り立ちして、他者として独立していくことでしょう。その過程での苛立ちが、反抗期として表れるんじゃないでしょうか。親にしても、独り立ちさせるのが目的であっても、一方でそうさせたくないというアンビバレントな情況があるはずです。

     子供は親に対して、一方で甘えるかと思えば、反発したりするでしょう。他方で、親がついうっかりしてしまいそうなのが、子供をダブルバインドにするような言動でしょうか。独り立ちさせようと、自分ひとりでやりなさいと突き放しながら、あれやこれや心配して構いすぎるような状況とかですね。このような「最も身近な他者」と日々直面していれば、それこそ幸福感の振幅が極大するのも無理はないと思われます。

     前に触れたと思いますが、今、さる学者さんの日記をデジタル化する作業をしてます。その人の訳書に、マイスター・エックハルト『神の慰めの書』というのがあるのですが、その中に次のような一節があります。

    「神は在(いま)す。神は私よりも私に近く在す」

     この「神」と「私」の位置関係はどうなってるんでしょうか、分らないですね(笑) この「神」の代りに先ほどの「他者」である、恋愛の相手であったり子育て中の子供を入れてみればどうなるでしょうか。これが私のイメージする「最も身近な他者」との関係構造です。目の前で勝手な振る舞いをして迷惑者なのに、「私より大事」な恋人であったり子供であったり、と。

     とまあ、勝手な想像をしてました。冒頭に述べた男性モデルでは、このような他者との遭遇をまったく無しに定年まで過ごしてしまう状況を想定しました。シンプルそのままで定年まで過ごしてしまい、気が付いたら何も残ってなかったというモデルを思い浮かべて苦笑してました。それに比して、女性の人生は見事に分節されている、という言葉をそのまま現したグラフだと思いましたです。でわまた。

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