ファミリー・ディナー

「塩」という寓話、「痛み」への関わり方

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昨夜のファミリーディナー(毎週金曜日の夜は家族で知恵やバリューについての話をしています)では、こんな話しを。

 

文句の多い弟子に向かって、ある日師が言います。

師:一握りの塩を、水の入ったグラスに溶かしなさい。

弟子はその通りにします。

師:飲んでごらん

ごくり。

師:どんな味がする?

弟子:むちゃくちゃ塩っ辛いです。

師:今度は一握りの塩を掴んで、湖に投げ入れてみなさい。

弟子はその通りにします。

二人湖に向かって歩いていきます。

師:では湖の水を飲んでごらん。

ごくり。

師:どんな味がする?

弟子:清らかで美味しいです。

師:塩の味がしたかね。

弟子:しません。

師は弟子の隣に座り、話し始めます。

師:人生の「痛み」とは、塩のようなもの。塩の量は全く同じであったとしても、どの器に入れるかによってその塩辛さは変わってくる。痛みを前に私達ができるのは、器を大きくすること。グラスであることを止め、湖になりなさい。

(老荘思想Taoismより)

 
 

「痛み」というのは変わらずそこにあり続けるもの。

「痛み」を伴う出来事は必ず起きるもの。

 

それでも、その「痛み」にどう関わるかは、調整していくことができる。

「痛みと苦しみは違う」という言葉があるけれど、

「痛み」を「苦しみ」にするかどうかは、調整していくことできる。

 

この話では、その「調整」を「器を大きくする」と表しているね。

 

じゃあ、どうやって器を大きくできるんだろう? そんな話し合いに。

 

分かんな~い

受け入れる(accept)

認める(acknowledge)

感謝する

空っぽになる

囲いをなくす

流す

 

そんな言葉が行き交い。

 
 

「塩」は器を大きくする機会でもあるのかもしれないね。

大変な状況にある人々が立ち上がり歩き始める様子を見て感動するのは、この「大きな器」に触れるからでもあるのかもしれない。

 

自分の痛みは、痛みへの関わり方を調整し、

他者の痛みには、できることがないかと動き。

 

澄んだ湖に溶ける「塩」。

このイメージ、覚えておこう。

そう話して。

 

嵐のような一週間を終え、ほっと一息、インスパイヤリングなひと時でした。

 

皆様新しい週、素晴らしい日々を!
Have a wonderful week!

 
 
 

 

 

 

 

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