マインドフルネス

毎日歯を磨くようにマインドを整える

湖凍りました!

016

昨日の外遊び。

 
 
 
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「何か物事が少しでもうまくいかないと、ああ私があの時こうしたからかな、こんなこと言ったからじゃないかなって悩んで。少しでも私に対する批判に聞こえるようなことを耳にしようものなら、もうどこまでも落ちていって随分と長い間立ち直れなかったりね」
 
子持ちでバリバリと仕事して、コミュニティー内でも責任ある役職についている友人と昨日話していて。
 
そもそもその友人を批判する人などに出会ったこともなく、普段聞こえてくるのは「できる」「優秀」「すごいよね」というような言葉ぐらいなもの。いつも冗談連発で場を盛り上げる頼もしい存在の友人、まさかそんな面があるとは、誰も信じられないでしょう。
 
それでも過去鬱病と診断され日常生活がままならなくなったこともあり、過食症拒食症も繰り返し、二十代のピーク時に比べれば随分と落ち着いたものの、今でもそんな傾向を抱えていると言います。
 
 
 
 
 
私:その思考回路だね。
 
友人:そうなんだよね。これが鬱病体質の基。誰も気がつかないような穴に、自分はどうしようもなくだめだだめだと追い込んで落として這い上がれなくしていく。小さな小さな釘の穴に、ハンマーで自分を叩き詰めていくような感じ。
 
私:自分に対しては、他人には向けたこともない鋭い刃をむき出しにして、他人には用いたことのないような厳しい言葉を投げかけ続けて。そんな姿勢を緩めることができたら、変わってくるのかな。
 
友人:でもね、「これでいいんだ」ってよくないのに声かけたって、それこそ傲慢になるだけで、改善する余地も何もなくなるじゃない、とか思うのよ。
 
私:でもさ、だからといって立ち上がれなくなるまで叩きのめしてたら、結局改善する余地もないよね。周りも自分も誰も結局何も得るものもなくて。
 
友人:確かにそうなんだよね。結局いずれにしても「過ぎる」んだよね。
 
私:叩きのめすでもなく、緩み過ぎるでもなく、そのバランスをどうとっていくかだよね。すっきりさっぱり淡々と改善していこうと進み続けられる自分に、整えていく。
 
友人:そうできたらいいよね。
 
私:私はね、「不安感」と一緒にどこまでも落ちていく傾向があったんだよね。どんなに状況がよくても、それは変わらなくてね。マインド(思考感情)というのは、現実から離れてどんなようにでも飛んでいけるからね。それで、日常生活に支障をきたすほどのピーク時から回復して以来、この十年ほど、少しずつ自分なりに「内観」とか試してきたのだけれど、マインドフルネスは、とても有効だと感じてる。
 
簡単に言うと:
 
1.自身の思考、感情、身体感覚の変化などに気づいている。
2.それらをジャッジせず思いやりと親しみをもった眼差しで観る。
3.呼吸や五感にフォーカスし、プリゼント(今この瞬間)にシフト
 
ということなんだけど。「1」をここ十年ぐらい自分なりにしてきて、「気づいている」だけでも確かにより引きずり回されなくはなるのだけれど、2と3が加わって、もうほんと楽に軽くなったというか。
 
友人:ね、あなたがそう言ってたからさ、私も興味持ってるんだけど。それを「瞑想」を通して鍛えていこうということでしょう。
 
私:そうそう。瞑想ってね、普段弱くなってる脳の回路を何回もなぞってより太く習慣にしていくというようなイメージなんだよね。何だかふわふわした神秘的なものというのでなくて、とても現実的地道な作業というか。あと座ってだけじゃなくて、日常生活に動きながら1-3を意識していくことも瞑想だったりする。なかなかまとまって座る時間がとれなかったりするなら、二分ちょっと椅子に座ってとか、歩きながらとかね。
 
友人:でも瞑想と言うとさ、ちょっと怪しいと思う人もいるだろうねえ。
 
私:うん、分かる、私もそう感じてたし。(笑) 瞑想にも色々あるからね。より宗教的スピリッチュアリティー的自己啓発的なものというのも確かにあるよね。どれを選ぶかはその人次第だけど、私が今コースを取ってる「マインドフルネス・ストレス・リダクションプログラム(MBSR)」は、仏教に根を持ちながらも、宗教やスピリッチュアリティーとは関係ない立場でと掲げていて、医療施設などで用いられているものなんだよね。
 
将来的にね、瞑想は歯磨きとか、髪をとくとか、そんな感じで、日常の「マインドのメインテナンス」としてルーティンになっていくんじゃないかということを言う人もいるけど、今は私自身実践を通してホントそう思うな。
 
「Scientific American」の来月11月号、「瞑想の神経科学:いかに瞑想が脳を変え、集中力を増大させ、ストレスを緩和させるか」という特集を組んでたりするんだけど、「Scientific American」と言えば、「Science」と共に米国では科学雑誌の王道のようなものだよね。瞑想は米国社会でメインストリームになりつつあるとThe Huffington Post の創業者も言っていたけど、その背景には、科学的な研究結果がどんどん出てきてるというのがあるんだよね。
 
パニックアタックから瞑想に行きついて今年五月に「10% Happier: How I Tamed the Voice in My Head, Reduced Stress Without Losing My Edge, and Found Self-Help That Actually Works–A True Story (10%よりハッピーに:どのように頭の中の声を大人しくし、鋭さを失うことなくストレスを緩和させ、実際に効き目のある自身を助ける術を見つけたか)」という本を出したダン・ハリス氏(ABC Newsなどのジャーナリスト)によると、瞑想すれば何かが劇的によくなるというものでもなくて、瞑想とは「自身でバランスをとるために日常的に用いる実用的なスキル」と位置づけていてね。私自身それにとても同意する。観念的に納得するものでもなくて、ちょっとしてみておしまいというものでもなくて、継続してこつこつ続けていく作業。それこそもうほんと「歯磨き」。
 
(雑誌の記事やダン・ハリス氏についてなどまたこちらにも少しずつまとめていきます。)
 
そしてね、子育て中のお母さんの「マインド・メインテナンス」にも、本当にいいと思うんだよね。子育て中って、もう次から次へと色々起こるじゃない。そうして「起こること」がなくなるわけではないけど、それら一つ一つにどう向き合うかという姿勢は随分と変わってくる。嵐のような状況でも、お母さんが穏やかでハッピーでいられたら、子供もほっとして落ち着くね。毎日揉みくちゃで、とほほ状態になることも多い我が家でも、随分と助けられてる。
 
友人:科学的な研究結果や根拠なども示されて、具体的な手順があって、こうしたらいいと分かり易い形がより明確になっていくのなら、「怪しさ」もより払拭され、皆もとっつきやすいよね。
 
私:そうだね、手順やこういう時はどうしたら?みたいなQ&Aなんかがシンプルにまとめられていくといいよね。「上の歯はこうして、下の歯はこうして磨くとより効果的ですよ」みたいなね。
 
 
 
 
 
ということで、以前から興味を持ってくれていたこの友人と、定期的に会い、これまで私自身学んできたことなど共に実践しつつ、より伝え易い形へと整えていく手伝いをしてもらうことになりました。どんどん意見感想を出してもらい、こつこつとよりクリアに実用的な形へと整えていきます! 将来的に必要とする方に届けられますように。
 
 
皆様、週末お楽しみください!
 
 
 

6 Comments

  • 長岡真意子
    November 2, 2014 - 7:48 am | Permalink

    佐々木さん、ありがとうございます!
     
    『アンナ・カレーニナ』からだったんですね。違う作品になりますが、トルストイの『懺悔』は、私自身学生時代何度も読み直し、心の奥底に響き続けていた作品なんです。最後は「夢」の話で終わっているのですが、とてつもない高い場所でチューブのようなものに横たわっていて、それでも、「大丈夫」だということを覚えておく、というような内容だったと思います。頭ではちんぷんかんぷんだったこの「大丈夫」という感覚が、年月を経、以前よりは感じられるようになったかなと。
     
    マインドフルネスも、この「大丈夫」といった「戻る場」のようなものを、観念ではなく、呼吸にフォーカスしたりと、感覚として身体化していく作業なのかなとも思っています。
     
    夢は私自身よく見て覚えている方だと思うのですが、確かに、膨大に見ている中のほんの一部分なのかもしれません。
     
    「人間の脳はしっかりしているようで、いろんなとこで欺かれていることも多い」
    覚えておきます。点を全体化してしまう粗さ、見つめていきたいです。
     
    「脳自身の過ちは脳自身では気づけない」
    実感しています。ちょこちょこ軌道修正するには、身体感覚が有効だと。
     
    いつもありがとうございます! 日曜日、お楽しみくださいね。 感謝を込めて。

  • November 1, 2014 - 5:00 am | Permalink

    補足です。幸福と不幸に関する名言、出典が分かったので記しておきます。内容の記憶もあいまいでした。
     
    》「すべての幸福な家庭は互いに似ている。不幸な家庭はそれぞれの仕方で不幸である。『アンナ・カレーニナ』《
     

    あと、夢についてですが、我々が目が覚めたときに覚えている夢は、目覚めの数秒前に見たものだけで、寝ている間には膨大な夢を見ているのだけれど、起きたときにはすっかり忘れているのだという話も、どこかで聞きました。人間の脳はしっかりしているようで、いろんなとこで欺かれていることも多いようですね。「脳自身の過ちは脳自身では気づけない」といったことは心しておくべきかも知れません。

  • 長岡真意子
    November 1, 2014 - 3:45 am | Permalink

    佐々木さん、コメントありがとうございます! 
     
    「長い間幸福について考えあぐねている学者の一人」という心理学行動経済学者のダニエル・カーネマン氏の幸福についての説明、とても興味深かったです。
     
    幸福を妨げる要因には、「経験の自己」と「記憶の自己」との混同があると。
     
    楽しく満たされた瞬間がたくさんあったとしても、少しでも嫌な体験が加わると全てが嫌な出来事として記憶に残ってしまうことがある。素晴らしい音楽の最後にとんでもない雑音が聞こえたり、大腸内視鏡検査の実験でもあるように最後に嫌な目にどかんと会ったりするなら、それまでの全ての体験がもう最悪のものとして記憶に残ってしまったり。
     
    なるほどです、それは確かに、「プリゼント」から離れ、「飛翔するマインド」にがんじがらめになっている状態とも、言えるのかもしれません。
    瞬間瞬間の体験がそのままフェアにとらえられるのではなく、偏った記憶としてゆがめられ、それらが「幸福である/ない」という判断に用いられてしまう。
     
    確かに氏が言うように、「幸福というのはもっと複雑なもの」なのだと、自らの瞬間瞬間の体験をフェアに眺め直してみる必要があるのかもしれません。
     
    平和と戦争、幸福と不幸、瞬間瞬間の平和や幸福により気がつき、それらがより「幸福である」という判断に組み込まれていくのならば、また人も社会も変わっていくのかもしれませんね。
     
    恋愛、本当ですね。確かに体験した瞬間瞬間の喜びを、フェアに眺めて。ポジティブ、ネガティブ、どちらにしてもワンサイドだけをみるのなら、「ファンタジー」でしかなくて。ファンタジーから抜ける時、次へのステップも開けるのかもしれません。
     
    いつもはっとさせられる言葉の数々、ありがとうございます。今日はハロウィン、長い夜になりそうですよ。そちらは週末ですね、佐々木さん、どうぞゆったりとお楽しみください!

  • October 30, 2014 - 12:24 pm | Permalink

    http://logmi.jp/26481
     
    ”TED”からの抜粋なので、論旨がたどりにくいようですが、面白いことを言ってるように思いました。
     
    私たちには「経験の自己」と「記憶の自己」とがあって、物事の判断や行動指針にそれらが関与します。で、極端な例外的経験が記憶に残りやすいので、「記憶の自己」に判断させると、偏った決定をしがちになるようです。
     
    「経験の自己」として、平和で幸福な経験の時間が圧倒的に多いにもかかわらず、ちょっとしたトラブルに悩まされたりすると、それが「記憶の自己」に強くインプットされて、不幸感の方が多く占めたりするということですね。
     
    これは「飛翔するマインド」を放置して「プリゼントにフォーカス」すると言うのに似ていませんか。せっかく平和で幸福なプリゼントを忘れて、あれやこれや過去や未来の勝手な想像のために悩んだりしてるんじゃないですか、という話として理解してみました。
     
    「平和は単調で退屈だが、戦争はそれぞれに個性的で刺激的である」というような話を聞いたような気がしますが、同様に「幸福は退屈で記憶に残らないが、不幸な出来事は記憶に残りやすい」ということでしょう。
     
    恋人たちが、恋愛中の幸せな日々よりも、別れたときの出来事が記憶に強くインプットされるようなもんだけど、そのような「記憶の自己」で一切恋愛をしないという決断をしたら、それこそ不幸な判断になりかねない(笑)

  • 長岡真意子
    October 27, 2014 - 12:51 am | Permalink

    佐々木さん、コメントありがとうございます!
     
    「治す」ではなく、「鬱とどう付き合うか」と発想を変えたことで、力が抜けていいバランスがとれるようになられたんですね。「風邪を引きやすい体質」というぐらいの捉え方で、風邪をひきそうになると、ちょっと厚めの服を着てみたりお風呂に入って温かいものをいただいて早めに寝たりするように、鬱病もちょっと悪化しそうだなと思うと、薬を飲まれたりとされていたと。なるほどです。
     
    「体質」とうまくつきあっていく、そう思うと、変えていかなければ!と意気込むよりも、確かにリラックスして向き合えますね。マインドフルネスでも、「治そう」という気持ちは横においておいてくださいというようなことを最初に言われます。逆に「全く効きやしないよ」という姿勢でもなかなか難しいのですが。結果を求めて期待し過ぎず、気持ちをオープンにしているような状態がいいんですね。
     
    森田療法などを試され、マインドフルネスの呼吸やコツなども、安心料として役に立つと思われるとのこと、記事の友人も佐々木さんの言葉に励まされると思います。
     
    昨夜ももう一人やってみたいなあという友人と話して、一緒に試してみようということになりました。俳句を作る方達でもあり、わいわいと楽しく取り組んでいきます。
     
    「頭でっかちで重力バランスが狂いがちなのが人間」、まさしくそう思います! マインドフルネスも、頭がぱんぱんになっているところを、下に下にと下ろしていくようなイメージです。禅仏教では丹田なんですね。確かに普段「腹が据わる」どころか、頭ばかりに重心がいってよろよろと何ともバランスが悪いと感じています。熊野の修験道の方と話していた時、「左足の親指」で考えるんだとおっしゃっていた言葉を思い出すことがあります。マインドフルネスでは歩いている場合は地面や、椅子に座っているならば椅子との「接点」を意識するというようなことを言うことがあるのですが、確かに意識を「接点」へとシフトさせることで、すっと落ち着く感があります。
     
    「問題を抱えている」場合から、「よりヘルシーに」まで、日常的にバランスをメインテナンスできる術を身につけられたらいいなと思ってます。子育て、本当ですよ、毎日そりゃもう勢い良くぶんぶん振り切れさせてくれます。(笑) そんな中日々、マインドフルネスに随分助けられている、そう実感しています。
     
    佐々木さん、ありがとうございます! そちら日本は月曜日始まりましたね。こちらは日曜日、今からパンケーキ作ります。良い日々を!

  • October 25, 2014 - 2:26 am | Permalink

    》叩きのめすでもなく、緩み過ぎるでもなく、そのバランスをどうとっていくかだよね《
     
     私の場合は、「鬱を克服する」とかいう発想はある時点で捨てましたね。むしろ、「鬱とうまく付き合っていく」とか「鬱を手なずける」という方向に考えて、気楽になった。そう考えると力みが抜けて、バランスがとれた付き合いができるようになったと思います。 
     
     つまり、ひとより少し風邪を引きやすい体質みたいなもんだと考えて、引きそうだなと感じたときに適当なケアをして悪化しないようにする。ある時期まで抗鬱剤が手ばなせなくて、常に持ち歩いていた。で、少しおかしいなと思ったら、それを飲んで気配を散らせていたけど、今ではすっかり薬も必要としなくなってます。
     
     そういう「鬱との付き合い方」の面で言うと、私の場合は森田療法でしたが、マインドフルネスの考え方や実践がとても役に立つと思います。ちょいと呼吸を整えるとか、普段からコツをつかんでいると薬にたよる必要もないし、いざとなればこれで何とかなるという安心感もあります。薬を手放せなかったのも、そういう安心料だったのだと、今では思われますね。
     
     禅仏教では、心を丹田におさめる、という言い方をしますね。丹田がどこにあるかよく分からないけど、体の重心みたいな場所でしょう。心臓に心があるとか頭で考えるとか、実際よりは頭でっかちで重力バランスが狂いがちなのが人間ですね。さらに、マインドは糸の切れた凧のように勝手に飛翔したりもします。そういう状況で、丹田ないし体の重心にマインドを結びつけて、そこで自在に活動させるような状態が理想だと思われます。
     
     鬱というのはマインドが極端に振れる状況ですが、通常の状況でも同じでしょう。人のあらゆる生活場面で、マインドフルネスは有効だと思いますよ。子育てなんて、こちらが振れなくても、勝手にあっちこっち振れまくってくれるでしょうし(笑)
     

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