ある日、九歳のシンディーがお友達の家に泊りに行った時のこと。
寝る時間になると、お友達はお母さんとお父さんとハグし、頬にキス。「アイラブユー」と言葉を交わします。
シンディーはびっくりします。そんなことを自分は両親としたこともなかったから。その夜、シンディーは興奮して眠れませんでした。
翌日帰宅すると、両親に聞いてみます。
「どうしてママとパパは、ハグしたりキスしたりアイラブユーって言ったり、そういうことしてくれないの?」
お母さんとお父さんは驚いて、戸惑った顔で言います。
「子供時代、そんなことした覚えないもの・・・。」
シンディーは、納得できません。お友達の家がうらやましくて、いっそのこと、お友達の家の子になりたいとまで思います。そしてとうとうこんな家は嫌だと、家出しようとします。夕暮れの公園でブランコに揺れながら、ある決意をするシンディー。
帰宅すると、遅くなっても戻らないシンディーを心配している両親の姿。
「もお、どこに行ってたの!」
シンディーはお母さんの傍に行き、頬にキスして言います。
「ごめんなさい。アイラブユー」
そしてお父さんのところに行ってハグ。
お母さんもお父さんも、驚いて言葉を失います。
その日から毎日、朝起きた時、学校へ出かける前、帰宅してから、寝る前、シンディーはお母さんとお父さんの頬にキスして、アイラブユーとハグ。
何日も、何週間も、何ヶ月も続けます。
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お母さんもお父さんも身体を引き離したり、固くなったり、ぎこちなかったり、ちゃかしてみたり。それでもキスを返すことはありませんでした。
ある日、寝る前のキスとハグとアイラブユーを忘れたシンディーが、ベッドに潜り込むと、部屋のドアが開き、お母さんが入ってきます。
「何か忘れてるじゃない?」
「あっ、そうだった」
そう言いながら、キスしてアイラブユーとハグするシンディー。
「おやすみなさい」と横になるシンディー。
それでもお母さんは部屋から去ろうとしません。
そしてとうとうお母さんは言います。
「アイラブユー」
そしてかがんでシンディーの頬にキスをします。
「もう忘れないのよ」と、わざと厳格な様子を振舞いながら。
シンディーは笑いながら、「うん、忘れない」と言います。
そして、ずっと忘れることがありませんでした。
シンディーはやがて大人になり、今では腕の中の赤ちゃんの頬に、それこそ「赤くなるまで」キスする毎日です。
実家に帰ると、まず母親は言います。
「私のキスはどこ?」
そして別れる時は「アイラブユー。あなたはそのこと知ってるのよね」と母親。
そしてシンディーは言います。
「うん。私はずっとそのことを知っていたのよ」と。
(by M.A.Urquhart Adapted from an Ann Landers column)
このストーリーから思うのは、2つのことです:
1.少し立ち止まって向き合う時を日常に散りばめることのパワフルさ
朝起きたとき、学校へ向かう前、帰宅した時、寝る前など、嵐のような日常に、少し立ち止まり向き合う瞬間を持っていきたいです。例えどんないざこざはちゃめちゃがあったとしても、そんな区切りの時を持つことで、子供もしっとりと落ち着き、ほっと安心します。
愛情の表し方は文化によっても様々で、日本で生まれ育った私も、ハグし合ったり、アイラブユーと口に出してみたりというのには、あまり慣れていません。(正確には「でした」で、今では「アイラブユー」と一日に何度か口に出しハグしてます。)
それでも少し立ち止まって、肩を抱いたり、手を繋いだり、背中をさすったりのスキンシップ、目を見て、心を込めて、おはよう、いってらっしゃい、良い日をね、おかえり、おやすみと伝えてみる。それだけでも随分と違ってきます。
2.脈々と続く習慣も、新しい習慣を繰り返すことで、変えることができる。
何代も受け継がれてきた癖や習慣というのはあるもの。私自身親となり、実親と同じことをしている自身に驚くことがあります。その中には、次世代へと伝えていきたいこともあれば、考え直してみたいこともあるかもしれません。
何年も続いた習慣を変えるのは、ロケットが軌道から抜け宇宙に飛び出すのと同じくらい大変なこと、そんな喩えを聞いたことがあります。ものすごい「引き」の力で、ぐるぐるぐるぐると同じところを回ってしまいます。それでも、軌道を抜けることは、可能なんですね。
新しい習慣を、何度も何度も繰り返してみること。
九歳の少女シンディーの姿を、思い出しつつ。
皆様、今日も良い日をお過ごしください!