マインドフルネス

七つの姿勢、より自分自身に/ よりその子自身に

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マインドフルネスの土台となる「七つの姿勢」を整理してみます。
 
一つ一つをかみ締め、実践してみて、随分と私自身変化してきたように思います。
 
どれも頭では分かっているように感じるもの。
 
それでも身体に落とし、実践を心がけてみることで、実は何も「分かっていなかった」のだと日々気づきに溢れています。
 
 
 

1.ジャッジしない (non-judging)

好き・嫌い・どちらでもない。
 
目の前のあらゆる事象が、いかにこれら自身の嗜好や意見によって分類されているかを観てみます。気持ちよく感じる好きなもので周りを囲み、不快に感じる嫌いなものを排除し、どちらでもないものは退屈で関心を払う価値なしと意識からそぎ落とす。
 
自身のこの作業を観てみることで、いかに「自身の枠組み」で世界が切り取られているか、いかに自身がその枠組みにはまりこんでいるか気づきます。
 
自身のこの作業から少し距離を置くことで、より「ゆがめられていない世界」が、目の前に現れます。
 
 
 

2.忍耐 (patience)

芽を見たいと種をこじ開けてしまうなら、芽も葉も花も見ることはできません。土を整え、光を調節し、水を遣りと忍耐を持って続けることで、芽は出、葉は生い茂り、花を咲かせることができます。
 
 
 

3.初心者の心持ち (beginner’s mind)

どれほど「分かった」気になって物事を眺め、他者に接し、そして自分に向き合っているか。まるで初めて接するかのように、周りの物事、他者、自分に向き合ってみます。
 
「分かった気」が、いかに自身の視界を狭めているか気づきます。
 
新鮮な風景が戻り、それまで見えなかったこと、発見に溢れます。
 
 
 

4.自分を信じる(trust)

自分の声に感覚を澄ませてみます。
 
例え失敗したとしても、「外からの権威」に従って失敗するより、「自らの権威」を信じての失敗の方が、よほど未来に繋がるもの。
 
外に答えを探し続けるのではなく、自らの知恵と善を信じてみます。
 
「唯一の希望」は、自身がより自身になること。
 
 
 

5.結果を得ようと躍起にならない(non-striving)

マインドフルネスによって、ストレスを減らそう、痛みを消そう、あれを治そう、こうなろう、というのも止めてみます。
 
より自身になるというゴール以外はなく、皮肉なことに、そのゴールは実はもう達成されている、そこに躍起になって向かうことを止めることが、そのゴールに至る道だったりする。
 
このクレージーな「パラドックス」が、より「なろう」ではなく、より「あろう」という方向へ自身を導いてくれます。
 
 
 

6.受け入れる/ 認める (acceptance/ acknowledge)

日常生活で、「ありのまま」を否定し抵抗することにどれほどエネルギーを浪費しているか。
 
今この瞬間のありのままを受け入れ、認めてみます。
 
「癒し」とは、ありのままを受け入れること。
 
 
 

7.流す(Let  it go)

解決策があるなら悩むことはない、行動すればいいのだから、
 
解決策がないのなら悩むことはない、することは何もないのだから。
 
できる限りのことをし、それでもどうしようもないことは、Let  it go。
 
 
 
 
 
 
 
現代の社会に暮らしていると、これら「七つの姿勢」とは反対の姿勢がどんどん強められていきます。
 
即座にジャッジし
すぐに答えにたどりつこう、すぐに結果を手に入れようとし
日常の繰り返しに新鮮さは失われ
溢れる情報に、自身の声に感覚を澄ますことなく
必死にゴールに向かって進み
ありのままを見つめることを避け
執着する
 
 
そこへ、これら「七つの姿勢」を心がけ実践してみることで、「バランスを取り戻す」と感じています。どちらがいいとか良くないとかいうよりも、ものすごい力で引っ張られるこれら現代の価値観と中和し、自分なりの着地点に落ち着いていきます。
 
 
 
そしてこれらは、子育て生活にも生かせます。
 
1.ジャッジしない
子供は日々成長していくもの。過程の一部分を切り取り、「この子はこうだ」と決め付けてしまっては、何とももったいないもの。それは、流れ続ける水を四角や丸やの器に入れ、この子はこういう形だと閉じ込めてしまうようなもの。目の前の流れに戻します。
 
 
2.忍耐
さなぎをこじ開けてしまっては、せっかく蝶になろうとしているのも台無し。
 
 
3.初心者の気持ち
「この子はこういう子だから」を一旦横に置き、初めて出会うかのように向き合ってみます。すると新しい気づきに溢れます。
またこの子がこの世に生まれ、初めてこの手に抱いた時の気持ちを、日々思い出してみます。
 
 
4.信じる
「これが正しい子育て」といった世間に溢れる「外からの権威」に従うのを止め、目の前のその子に向き合い、その子が必要とするその子に合った子育てを築きます。その子がよりその子自身になるということが、唯一の希望。
 
 
5.結果を得ようと躍起にならない
結果を手放すことが、ゴールへ至る道。
 
 
6.受け入れ・認める
その子のありのままを受け入れ、認めます。否定し、避けることにどれほどエネルギーを浪費しているか。
 
 
7.流す
解決に向かってできる限りのことをし、それでもどうしようもないことは、流します。
 
 
 
 
 
「七つの姿勢」、心がけてみることで、子育ての日常も、随分と軽く楽になってきたように感じています。
 
子供達の表情もより明るく。
 
まだまだこれから嵐の日々は続き、様々なことも起こるでしょうが、「七つの姿勢」を抱きつつ、その都度精一杯向き合っていきたい、そう思っています!
 
 
皆様、素晴らしい週末をお送りください!
Have a wonderful weekend!
 
 
 

4 Comments

  • 長岡真意子
    October 5, 2014 - 11:19 pm | Permalink

    佐々木さん、森田療法では、俳句を不安症や鬱の治療に用いるんですね。俳句は友人に誘っていただき始めたのですが、まずは身の回りの事象をとにかく観ること、そこから言葉を紡いでいく、俳句を通して、いかに何も観ていなかったかを教えられました。
     
    季語が「意識を体に同調させる」、なるほどです。自身の枠内のみで右往左往していたのが、季語を用いることで、ぽんと周りの世界と繋がる感覚がありますね。
     
    歳時記を眺める度、季語の表す世界の豊かさに感動します。冷やかか、爽やか、身に沁む そぞろ寒、やや寒、肌寒、朝寒、夜寒、冷まじ、今少し歳時記をめくってみたのですが、秋のひんやりとした体感を表す季語にもこんなにあって。それぞれ微妙に違うんですよね。秋の月を表す季語も好きです。数えてみたら秋の月についてだけで十五語近くありました!
     
    「自分も哀れ蚊みたいなもんだと同期する」、面白いですねー。季語を通して、一体になる。
     
    気候の変化、本当ですね。歳時記の書かれた時代とは随分と違った様相になってきてますね。こちらアラスカも十五年前に引っ越してきた時に比べ、随分と暖かくなってます。また場所も変われば、風土も随分と変わり、友人達で「アラスカ歳時記」を作ろうかなんていう動きもあります。ムース(ヘラジカ)の角の様子や、晩夏を知らせるヤナギランや。果物や野菜はほとんど他州や他国から運ばれてくるので、スーパーには一年中同じようなものが並び、季節感全くなしですが。蚊に関しては、色々できそうですよ。黒煙蚊(蚊が煙のように群れになっている様)とか。(笑)
     
    子供達の学校でも俳句を作ってきたりしますが、音節での五七五で、季語無しなんですよ。ショートポエムの感覚ですね。
     
    徒然と長くなってしまいました。ありがとうございます。今週も始まりました、佐々木さん、良い日々をお送りください!

  • October 4, 2014 - 2:45 am | Permalink

    俳句ですか。そういえば森田療法の中にも、句作を通じて自然と同期する、という実践療法があったように思います。そのむかし、歳時記など買ってきて何句かひねってみたことはあります。すぐに投げ出したけどw

    呼吸にフォーカスし意識を身体に同調させるという操作は、俳句では季語がその経路の役割が担ってると思いました。つまり、季語をぽんと放り出すだけで、やっかいな日常の意味世界から離れて、自然世界を共有してしまえるんですね。

    「哀れ蚊」という秋の季語がありました。はだ寒くなってよろよろと飛ぶ蚊を哀れ蚊と呼んで、昔の人はパチンと叩いたりしなかったそうです。哀れ蚊と言われたとき、同情したりするのではなく、哀れ蚊にすっかり同期、成りきってしまうんです。そういえば自分も哀れ蚊みたいなもんだ、とかねw

    四季の明瞭な日本という風土だからこそ、そういうのが可能だったわけで、外国とかではどうなるか分かりません。そもそも温暖化現象とやらで、かつてのような季節感は薄れつつあります。哀れ蚊どころか、夏場の暑い盛りは木陰で休んでいて、秋にさし掛かるとやたら元気になる蚊には、もはや殺意しか覚えません(笑)

    こうやって、かってな発想をしてみるのも、楽しいもんです。

  • 長岡真意子
    October 4, 2014 - 1:40 am | Permalink

    佐々木さん、ここでこうして学びをシェアできること、嬉しいです。読んでいただきありがとうございます!
     
    現象学のイメージと重なるんですね。学生時代に少しだけフッサールなど読んだこと、佐々木さんの言葉に、記憶の糸を手繰り寄せていました。「エポケー」、なるほどです。「現実に対する判断を留保する」、それが「意識の普遍的構造を捉えるための第一歩」と。
     
    身体論に取り組んだメルロポンティの「(身体)は私よりも私に近く在す」というのも、まさしくですね。マインドフルネスを通し、五感や呼吸を活用しつつ、頭のみから身体に意識を広げていくことを学んでいます。
     
    様々な角度からの知恵を示していただき、ありがたいです。私の中では(私の場合はそれこそ本当に少しかじっただけですが、笑)俳句を作る感覚と繋がっています。佐々木さん、よい週末を!

  • October 3, 2014 - 5:09 am | Permalink

     ここの”良き読者”として、自然にマインドフルネスを学んでる感じになってきてますw 

     それはさておき、この「七つの姿勢」を拝見して、現象学をかじったころのイメージを思い出しました。もちろん現象学は、事象そのものへ」という言葉にあるような哲学的態度を主題にしたものですが、実生活の中でもこういう態度は有効だと思いました。その基本的操作が「エポケー」と呼ばれてましたね。エポケーを日常で実践するのに、示された「七つの姿勢」が必要なのだなと思いました。

    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%9D%E3%82%B1%E3%83%BC

     現象学の中では、身体性の延長として精神をとらえるメルロポンティなどが近いでしょうか。「(身体)は私よりも私に近く在す」ですもんね(笑)

     仏教だのエックハルトだの現象学だのと、いろんなもんのつまみ食いみたいなコメントで申し訳ない。私の中では、それなりに繋がってるんですけどねw

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