柔らかさ

シンパシーとエンパシーの違い、寄り添うということ

日本語だと、 Sympathyは「同情」、Empathyは「共感」という訳になるでしょうか。
 
ソーシャルワーカーでリサーチャーのBrené Brown氏のこのクリップを見ると、
 
シンパシー(同情)は、相手の感情を避け、上から眺めている状態
エンパシー(共感)は、相手の感情を自身も感じ、寄り添っている状態
 
とも取れます。
 

 
 
キツネがどんよりどん底状態になっていて、
寄り添うクマ。
そこへヤギが現れます。
 
キツネ:「流産したの」
ヤギ:「少なくとも妊娠できるって分かったじゃない」
キツネ:「結婚がうまくいっていない」
ヤギ:「少なくとも結婚してるじゃない」
キツネ:「息子が学校をキックアウトされそう」
ヤギ:「少なくとも娘さんは、オールAの生徒でしょ」
 
シンパシー(同情)では、こうして「少なくとも」という言葉が用いられたりする。
 
クマは言います。
「もう今は何と言っていいか言葉もないけど、でも、話してくれて嬉しい」
ハグ。
 
 
何かを良くするのは、
「答え」ではなく
「コネクション」と。
 
 
 

時にその相手は、
ただ
聞いてもらい
感じてもらい
認めてもらうことを
必要としているのかもしれません。

 

そこから、

その人(子)は自分で立ち上がり、

自分の足で歩き始めていける。

 
 

子育ての日々に、思い出して。
 
皆様、今日も良い日を!。

 
 
 

7 Comments

  • 長岡真意子
    October 20, 2014 - 2:28 pm | Permalink

    佐々木さん、昔のお話をシェアしてくださってありがとうございます。
     
    鬱状態では、「一切の判断ができなくなる」ことがあるんですね。そして何とか判断して動いたとしても、少しでもうまくいかないと、自責して落ち込んでしまう。うつ病と診断されたことのある友人達も、普段から責任感が強く頑張り屋で、人を責めるよりも、まず自分の至らなさを思うようなところがあります。
     
    「外面的にはほとんど分からない」にも関わらず、傍にいて、「判断」までをも引き受けてくれたご友人の存在、心に響きます。佐々木さんが今取り組まれていること、ある哲学者の日記のデジタル化というのは、そんなご友人さんを育てられたお父様のものだったんですね。当時寄り添い寄り添われながら、まさか何十年後かにこんな関係が生まれるとは、想像もされなかったことと思います。
     
    穏やかに日々コンピューターに向かわれる佐々木さんの姿を想いつつ。ありがとうございます。
    こちら嵐のような一日が、また終わりつつあります。明日から月曜日! 佐々木さんも、良い日々を!

  • October 19, 2014 - 10:54 pm | Permalink

     ついでだから、昔の話をしてみます。忙しい中、無理なお返事はけっこうですよ。
     
     鬱状態というのは、一切の判断ができなくなります。極端な話だけど、歩道を歩いていて向こうから人が来る、どちらによけようかギリギリまで判断できない。で、ぶつかりそうになってからどちらかによけると、相手も同じ方によけたりして、ぶつかってしまう。そして、その原因は自分にあると自責して、さらに落ち込んでしまうという下降スパイラルなんですね。
     
     そんなわけで、自分で判断できない状態になったとき、たまたま信頼できる高校時代の友達がいたので、必要な判断はすべてお前がやってくれ、とか頼んだことがありました(笑)
     
     まあ、鬱状態というのは、外面的にはほとんど分からないんですね。そんなとこで、家族以外にもそういう風に寄り添ってもらえる人が居るのは、かなりの支えになりました。いま、そいつの父親の日記を、写経でもするつもりでデジタル入力してます(笑)

  • 長岡真意子
    October 19, 2014 - 3:55 pm | Permalink

    そうだったんですね。きっと頑張って無理をたくさんしたからこそ、そういう状態になっているところ、余計に「張る」ような言葉は苦痛を強めるだけなんですね。周りにもうつ病を体験した友人が何人かいます。もうとにかくだるくて「励まし」がきつくて、と言ってました。
     
    それでも一方で声をかけてほしいという「ダブルバインド」だと。ほっと気持ちが緩まるよう、ただゆったりと傍で寄り添う、それがいいんですね。
     
    アラスカは冬至をピークに日照時間が短く、氷と雪に閉ざされた日々が長く続くこともあり、特に冬になるとうつの症状を訴える人も多いんです。他州から来た人など参ってしまうんですね。太陽が恋しいと去る人にも今まで何人か会いました。佐々木さんの言葉、覚えておきます。
     
    こうして佐々木さんが生きてらっしゃって、言葉をかけていただけること、感謝しています。
     
    日本は新しい週が始まりますね。こちらは土曜日夜です。ちょっと体力的にきつい日々が続きますが、力抜いていきます。
    佐々木さん、どうぞゆったりと日々お楽しみください!

  • October 18, 2014 - 10:37 am | Permalink

    》こんなにポジティブな面もあるじゃないと、「善意」だったりするんですよね。《
     
     そうそう、相手の善意は痛いほど分かってるんですね。でも鬱状態の励ましは、かえって苦痛にになってしまうんです。高校のときには、友人が様子見にきてくれたけど、会わずに帰ってもらったりした。
     
     しかし一方では励ましてもらいたいわけです。鬱というのは、そういうダブルバインドにはまり込んでいるのであって、意識が痙攣状態にあるってことですね。
     
     そういうときにシンパシーは機能しない、むしろエンパシー、すなわち寄り添ってくれてる人が居る、というのが唯一の救いになりましたね。自殺さえしなければなんとかなる、それが鬱から得た唯一の教訓でした(笑)

  • 長岡真意子
    October 18, 2014 - 4:13 am | Permalink

    佐々木さん、コメントありがとうございます!
     
    こんなにポジティブな面もあるじゃないと、「善意」だったりするんですよね。私も、相手を励まそうと「でもね、あなたにはこれもあれもあるじゃない」なんてこと言ったりすることあるなあと。これが有効なのは、まずは相手が穴から這い出てからのことですね。そしてこの言葉は、相手を穴から這い出させることになりはしない。
     
    鬱体験で、「論理で心情はコントロールできない」と痛感されたんですね。私自身本当にきつかった状態にあった時、変化をもたらすのは、論理的な方法や手順を超えた、「感覚」のせめぎあいなのだと感じました。
     
    対人関係で、「他人の痛みを、同じように感じることはできない」。それでも往々にして、自分は同じように感じてるし「分かっている」と思ってしまうところに、確かに行き詰まりがあるのかもしれません。
     
    「同じように感じる」でなく、エンパシーは「共に感じる(feeling with people)」。同じではなく、違っているだろうけど、私なりに共に感じているよ、ということなんですね。
     
    この「同じではない」という前提を「徹底的に」見つめていくことが、確かに、自身の枠内から、全く違うはずの相手を「同じように」コントロールしようという動きを、緩めていけるのかもしれません。
     
    子育てについても、「この前提」を見詰めていくことが大切だなとしみじみ思います。子供側にも「共感されている」という土台があるのなら、論理的な導きも、その子自身の選択として身に着き、実りあるものになっていきます。
     
    エンパシーの「その気」は、「愛」や「大我の実装」と呼ばれることのある、小さな自我を超えたものへの眼差し、深いところでの繋がり感、安心感のようなものに支えられる、私自身もそう感じています。まだまだまだ先は遥かに遠いですが。(笑) 少しずつ精進していきます。
     
    いつもありがとうございます!佐々木さん、よい週末をお過ごしくださいね。

  • October 16, 2014 - 5:25 am | Permalink

    [補足]「愛」などと表現したけど、別の言葉に置き換えると、「大我」を実装している状態か、深いところで全体とつながっている安心とか、同じようなことですね。

  • October 16, 2014 - 5:02 am | Permalink

     「少なくとも」という言い方、ついついよく使ってしまうなあ(笑) 
     
     思うにこれは、論理で心情を説得しようとするスタイルなんですね。古くからあるロゴスとパトスの位相の掛け違い。鬱体験から、「論理で心情はコントロールできない」ということを痛感したはずなのに、対人関係ではついつい陥ってしまう陥穽です。
     
     本来的なシンパシーなどはできない。たとえば、他人の痛みを、同じように感じることはできない。そんなことできるのなら、戦争も殺人もあり得ないわけです。そこには深い実存の秘密が横たわってるはずです。
     
     エンパシーは、その気でありさえすればできる。問題は、自然から湧き出るような思いやり(たぶんそれを「愛」と呼ぶのだと思ふ)がないと、なかなか「その気」になれないで、ついつい批評的に対処してしまうことですね。本質的なシンパシーなどできない、という徹底したリアリズムこそが、エンパシーを可能にするんだと思いました。

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