先週末は知り合い息子君のバル・ミツバへ。長女がキンダーから一緒のJ君。
「バル・ミツバ」とは、ユダヤの通過儀礼。女の子は12歳で(バット・ミツバ)、男の子は13歳で。この儀礼をもって、成人への仲間入りとみなされる。ヘブライ語で「ミツバ」は「法」を、「バル」と「バット」は、「息子」と「娘」を意味する。法を理解し法に従う者と見なされる節目であり、もうこれからは自分のしたことには自分で責任をもつのだよ、そう本人に自覚を促し、その子に対する周りの姿勢も変わる。
バルミツバ会場の「ユダヤ・センター」に着くと、入口でその日の主役J君の弟君、妹ちゃんが「Jのバルミツバへようこそ!」と迎えてくれる。男性にはキッパ(頭に乗せる小さな帽子)が渡され、二階の会場へ。部屋の中央に仕切りが立てられ、男性と女性で座る席が分けられている。
『トラ』(ユダヤの聖典)のスクロールが箱(ark)から取り出され、会場を一周。キスしたり触ったりする人々も。
その週の「トラ・ポーション」(ユダヤ歴に則り、一年で『トラ』を読み終えるよう、週ごとに『トラ』の箇所が区切られている)をヘブライ語でリズムに合わせて読むJ君。その週は、モーセが十戒を受け取る箇所!
ゲストが一斉にキャンディーを投げる! 祝いの歌。その後J君の家族が『トラ』を掲げ、『トラ』にちなんだ仮装をし、J君、『Hftarah(ユダヤの他の聖典)』をヘブライ語で詠唱。そして親族が『トラ』を持って会場を行進し、箱にしまわれる。
ラビ、J君、お父さんお母さんのスピーチ。そして毎週土曜日の「シャバット(Shabatt)」の礼拝。
と、全部で二時間ほどの儀式。その後バッフェ形式のランチへ。
アラスカでおじいさんの代から事業を続けてきたJ君の家系。各方面に顔も広く、ユダヤコミュニティー以外にも、政治家から学校関係者から地域の人々何百人も集まっていました。学校の先生方、本格的な「バル・ミツバ」は初めてという方も多く、「感動したわ」と口々に。
アンカレッジにはオーソドックス派とリフォーム派といった二つのユダヤコミュニティーがあり、前者は教えや戒律により忠実、後者はより現代の暮らしに溶け込みフレキシブル。J君家族は、前者のコミュニティーで活発な活動を続けています。
今回の「バル・ミツバ」を支えたオーソドックス派のラビ一家、まだアラスカに来たての20年近く前から夫と知り合い。長男長女もユダヤ人でないにも関わらず、ちょこちょこサンデースクールに参加させてもらったりとお世話になりました。
オーソドックス派といえば、かなり閉じた世界なのですが、そこはアラスカ。夫もユダヤ人でないし私達のような部外者でも、接する機会があるのですね。
ラビご夫婦、四人の子供さんをホームスクールされ、年頃になると他州のユダヤの学校へ送られ。2012年の長女さんの結婚式は、「初めてアラスカでユダヤのオーソドックス派の結婚式」と地元のメディアにも取り上げられていました。結婚されアラスカに戻った娘さんご夫婦、今はお父さんお母さんに加わり、ユダヤコミュニティーを支える活動をされています。
一般世間とは全く違った生活を送るラビ一家、いつもお会いするたびに、ああ、こういった生き方というのもあるのだなあと思わされます。
このラビとの『トラ』の勉強会に一度だけ参加させていただいたことがあるのですが、その時ラビの言っていた言葉が今も心に残っています。「結局ね、いかに『セルフレス』になれるかということなんですよ」
J君のスピーチ、感動でした。お父さんが、「Jがシャイさのかけらもない性格で申し訳ない」と会場を笑わせるほど、J君は普段からどんな人の前であろうとどんな場であろうと物怖じせず飛びぬけたパフォーマンスを見せてくれるのですが、今回のスピーチも会場中が聞きほれました。身振り手振り交え声の抑揚といい、こういうのを生まれながらのギフトというのだろうかと感心するようなしゃべりっぷり。
これまで育ててくれた両親、親族、兄弟、そしてコミュニティーへの感謝の言葉から、ユダヤの知恵の解説。そして、自分がいかにユダヤ人であるということに誇りを持っているか、自分を通しユダヤの知恵がユダヤだけでなく、ユダヤ以外の人々の役にも立つのならこれほど嬉しいことはない。ユダヤもユダヤでない人も力を合わせ、これからの世界を創っていくんだ。僕は僕のルーツを生かした貢献をしたい。僕はこの生まれに感謝している、そして、学校の友人達(ユダヤでない子がほとんど)が、僕の意見や僕のすることに喜び、ありがとうと言ってくれるたびに、僕は神に感謝を捧げる。皆さん、今日はこうして祝ってくださり本当にありがとうございます。
これからの世界を担うリーダーとしてのJ君、ありありとその姿を描けます。
ユダヤコミュニティーに触れいつも思うのは:
・コミュニティーで子供を育てるということの価値と大きさ。J君、キンダーの頃から、学校が終わると毎日のようにユダヤコミュニティーで過ごし、『トラ』や文化慣習を学び、冠婚葬祭、年間行事や祭りを共に祝い。
・その人その人にそれぞれの役割が与えられているということ。ラビ一家のように、世間とは大きく距離を持ち、教えのコアを守り伝える人々、それらの教えを学び内と外とを行き来し、教えや知恵をより広い範囲で生かす人々、外から知恵を学びユダヤではない自らが立つ場に生かす人々。どの立場も尊く、皆が同じになる必要はない。それぞれがそれぞれの立場を生かし、よりよいもの(世界)を創っていくことこそが大切。
その夜のパーティー、それは楽しかったと長男長女。ユダヤの歌や踊りを初め少し、その後は、今時のティーンなパーティーに皆大はしゃぎ。食べ放題飲み放題、DJが次から次へと大音響のリズムを流し、紫のシャツに紫のジーンズのJ君囲んで、踊って踊る。その後は、長男も長女も、それぞれの友人宅でスリープオーバー。はじけた週末でした。
冒頭写真:Wikimedia Commonより
金曜日の日の入りから土曜日の日の入りまでは「シャバット」(六日働いた後の完全なる休息日)、電化製品などのスイッチをいれてはいけないという戒律もあり、儀礼会場ではカメラ撮影禁止。日の入り後の夜のパーティーは、長男長女だけ参加。ということで当日の様子を写した写真はないのですが。
儀礼ではこんな英語とヘブライ語で書かれた冊子を渡され、英語のフレーズを目で追いながらJ君の詠唱を聞いてました。
写真 by הסוכנות היהודית Wikimedia Commonsより