妊娠・出産

出産

124長男妊娠七ヶ月でアラスカへ移住し、こちらの産婦人科にお世話になりました。右も左も分からない夫と私、マタニティクラスへ出かけ、呼吸法の練習をし、出産に関する本を読み返し。

 

臨月に入る頃、「どういう出産にしたいかをまとめ、医師や看護婦に手紙といった形で手渡すといいですよ」とマタニティクラスの講師にアドバイスを受けました。そこで自分が理想とする出産について、書き出してみました。「自然に近い出産」、それが私の理想でした。

 

「自然に近い出産を。麻酔剤や促進剤などの薬剤は極力使わず、会陰切開もできれば避け、出産後はすぐに母乳をあげ、母子同室で新生児と一緒に過ごしたいです」

 

そう書き綴った手紙を、いつでも病院へ向かえるようにと部屋の隅に用意した荷物の中に加えました。

 

出産の様子を何度もシミュレーション。痛みを習ったばかりの様々な方法で乗り越え、ゆったりと生まれたばかりの赤ちゃんを抱いて感動している自分を想像しつつ。新しい命の誕生のためなのだし、どんな痛みだって耐えられる。大昔から果てしない数の女性が乗り越えてきたこと、私にだってできるはず、そう頷きながら。

 

 

予定日を十日前にして夜中に破水、病院へ行き病室で微弱陣痛のため眠られない夜を過ごしました。ところが朝になり担当医師が病室に顔を出す頃になっても、なかなか強い陣痛が来ません。そして感染を防ぐため破水から二十四時間以内に産む必要があると、午前の内に陣痛促進剤を入れ始めました。痛みが増していきます。それでもまだ進みが遅いと午後になって促進剤の量が増やされ。
すさまじい痛みに、ボールに座る、リラックスする音楽や姿勢、静かに一点を見つめる、など痛みを和らげる術も全て吹き飛び、呼吸法だけがたよりと、とにかく「ヒーヒーハーハー」。必死に大きな口を開けて続けました。ところがその呼吸法も、「過呼吸」を心配した看護婦に止められることになります。頼りにしていた術が次から次へと抜け落ち、あとはもうなす術がないと、ただただ身体が引き裂かれるような痛みにのた打ち回りました。

 

「無痛分娩に使う麻酔をして下さい!」

「どうか帝王切開して下さい!」

いつしかそう叫んでいる自分がいました。この痛みから逃れられるなら何だってする。爪を立てしがみつく夫の腕には、血が滲んでいます。
ところが、周りの看護婦にどんなに嘆願しても、「自然志向の手紙」を配ったせいか、麻酔はやってきません。結局麻酔ほど強くは無いけれど、少し感覚を麻痺させる薬を腕に繋がれた点滴の中に入れることになりました。といって痛みは全く和らぐことはなく、ただ意識が少しぼんやりとしただけ。

 

二十四時間近く寝ず食べず(こちらのお産は吐いてしまうから食事を取らないようにと指導され、その代わり点滴を続けます)、身体も意識も朦朧としたところに、数分間隔で訪れる身体を切り裂く痛み。心身ともに極限の状態の中、強い陣痛が始まってから半日ほどした夜九時近く、子宮口は全開ではないものの、赤ちゃんがすぐそこまで下がっているということでようやく「いきみ」始めました。

 

「会陰切開するとすぐに出てくるよ、どうする?」そう聞く医師に「お願いします!」 即答。

 

こうして破水から二十一時間後、無事生まれた長男をぎこちなく抱きました。

 

ヨレヨレながら、それまで感じたことのない気持ちがじわじわとこみ上げてきます。

これが私の中に育っていた新しい命・・・。

とまどいと、身体の奥底から湧き上がる不思議な気持ちと。

 

 

 

 

産後、「身体の痛み」より「心の痛み」を癒していくことの方に、より時間がかかりました。

頭の中で作り上げていた自分と現実の自分。

「あれは一体誰? あの病室で取り乱し叫んでいたのは? 命の誕生などそっちのけで」

認めたくない自分を突きつけられたような気持ちでした。この出産の体験がどれほど自身を現実的に謙虚に省みる機会を与えてくれたか分かりません。

 

 

普段自然とかけ離れた生活を送りながら、お産だけ自然に、というのも随分と無理があるのかもしれない、そう思いました。自然に近いお産をしたいのなら、普段から自然に近い生活を心がける必要があるのだろう。旬で土着の新鮮な食物を身体に取り入れるようにし、太陽に合わせ寝起きし、冷暖房の中に閉じこもるのではなく季節の変化を肌で感じ、できるだけ自然のリズムと共に暮らしていく。そう普段の生活をより意識し始めると同時に、私自身が理想とする「自然に近いお産」というものがどうしたら可能になるのだろう、そう考え始めました。そして促進剤で急激に起こす人工的な陣痛は母体にかなり無理があるのではないか、時間をかけ自然な陣痛を待つことでより母体に合った速度でお産が進むのではないだろうか、周りの体験談や、いくつかの資料に目を通す内、そう思うようになりました。
 
二人目からは助産院や助産婦付き添いの自宅出産も考えたのですが、「破水後二十四時間以内に出産するべし」は同じ決まりのようで、微弱陣痛が続き結局病院に回され間に合わず帝王切開になったというケースを何件か聞きました。強い陣痛が中々来なかった自分の出産を思い踏み切ることができず、結局二人目からも病院で産むことにしました。普段の生活を少しずつ変えつつ、出産では促進剤を入れることになった時点で、人工的急激な陣痛の痛みに耐えられなくなる前に「無痛分娩の麻酔」を入れるという方法を取りました。

 

そして下の子の出産になるほど、より自然に強い陣痛がつくようになっていきました。徐々に身体の変化に耳を澄ませながら、より無理なく自分のペースで、出産に向き合えるようになっていきました。促進剤も徐々に出産間近に少しという程度になり、五人目にして初めて促進剤なしで産むことができました。

 

四回の出産を経、子宮口が開きやすくなったということも大きいでしょうが、下の子の妊娠生活ほど、アラスカの大自然の中で動きまわり、以前よりはより自然のリズムに近づいた生活を心がけていたこともあったのかもしれないなと思っています。

 

 

 

一人一人が理想とする様々な出産の形があります。思い描いていたような出産ができた人もいれば、私のように予想外の展開に悩んだ人もいるかもしれません。周りにも、予期せぬハプニングで、難しい出産になった方々もいます。

 

それでも、子育てしつつ思うのは、出産がその子の一生を形作るのではなく、生まれてからの歩みが、その子の一生に影響を与えるということです。親が悩む出産の困難も、そこから始まる長い子育て生活の中では、ほんの小さな隆起でしかありません。そしてその隆起もその後の歩みによって、より小さくしていくことができます。

 
 
どんな出産もかけがえのない命の誕生。
 
赤ちゃんは日に日にとてつもないスピードで成長しています。

 

腕の中の赤ちゃんの温もりを、どうぞ盛大に祝ってあげて下さい。

 

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