長男十四歳が昨日、日本から戻りました。
たくさんのお土産と、お土産話を抱えて。
ふ~と何度もため息。
日本が恋しい・・・と。
何が一番恋しい?
何といっても、祖母と祖父と親戚の人々、そしてお世話になった方々と。
二週間、名古屋と広島を行き来し、
毎日あちらこちら連れて行っていただき、
晩は集まってご飯を食べ、親戚の子供達とお風呂に入り、一緒に眠り。
アラスカで生まれ育ち。
祖父祖母親戚というものをほとんど知らずに育ち。
親以外にこれほど自分のことを気にかけ、
世話をしてくれる人々と過ごすのは、
初めてでした。
メモリスティックに入った写真を一枚一枚説明し。
最初の日に「日記をつけなさい」と祖母に渡され、
毎日綴った日記を読み。
最後の日付の方になると、
日本を発つまであと○日、悲しい、
という書き出し。
僕達はなんでアラスカにいるんだろう。
日本はなんでこんなにも遠いんだろう。
おばあちゃんおじいちゃんはどんどん年をとっていく。
様々な縁と事情で、
今こういうことになっていて。
それでもやはり、
息子のこれらの言葉は、
私自身が何度も納得し越えてきたと思っていた
心の奥深くの哀しみを切なさを
呼び覚まします。
三日間通わせていただいた広島の中学校では、
先生も生徒もゆったりしていると感じたそう。
男子生徒がふざけあってズボンを下げ合っていても、
ばかなことやめなさいと先生も笑いながら止める様子に驚き。
こちらでは、自分のでも他人のでもズボンを少し人前で下げた時点で、
即刻停学処分ですから。
それでも怒るときはね、先生むちゃくちゃ本気で怒っててね。
日本の学校には、ルールで取り締まるというより、
先生も生徒に対して、そして生徒の間でも、
「親戚の延長」のような雰囲気があると。
こちらはガードが廊下に何人も立ち、
見守るというより「監視」といった様子だからねと。
登校初日、クラスメート全員から手紙をいただいたのも感動したようです。
見ず知らずのアラスカからの少年に対して、
クラスの勉強からクラブ活動から、細やかな配慮がされ。
東京で通りかがった方の荷物にぶつかると、
あちらが「すみません」といい、
シアトルで全く同じ状況にあったら、
「どこ見てんだ気をつけろ」と怒られたとも苦笑いしながら。
日本では、
一人一人が、より無防備で、オープンで、
個人よりはコミュニティーの流れの中にいる、
そんなように感じたそうです。
日本の良さを、
日本の素晴らしさを、
胸に。
十二年帰っていない日本の風景、
親戚や懐かしい方々に囲まれ。
私の通った小学校中学校高校大学を訪ね、
校舎の前で微笑む長男。
多くの方に助けられ、
十四歳の夏、
自身の内に流れるルーツを
こうして少しでも辿る機会を与えられたこと。
感謝をこめて。
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