一昨日、
ネイティブアラスカンの「姉」から電話がありました。
「お母さんがね、
アンカレッジの病院に運ばれてくるの。
心臓発作かもしれないって」
村の患者さんは、
村の病院施設では治療できないと見なされると、
こうしてチャーター機でアンカレッジの病院まで運ばれてきます。
夜中近く、
「心臓じゃなくてね、
耳からくる症状だったみたい。
バランス感覚を整えて、
もう大丈夫。
明後日には村に帰られるって」
と連絡があり。
ほっと力が抜け。
翌日、
病院を訪ねました。
十四年ぶりに会う「母」。
二人部屋の奥で上半身を立たせたベッドにもたれ、
ベッド脇に歩み寄る私の顔を、
首を傾げてじっと見つめます。
「マイコです」と言おうとしたところ、
目を大きく見開いて、
「マイコー!!!」と叫び。
長い長いハグ。
三人の子供達一人一人も抱き寄せ、
名前を聞きながらハグ。
五人と聞いてるけど、あと二人は?
二週間ほど留守にしていて、
どうして?どこにいるの?
トレーニングで。
何のトレーニング?
子供達とは長男が赤ちゃんの時に会っただけにも関わらず、
五人一人一人の様子を気に掛けて下さり。
十四年前と変わらない元気一杯な「母」。
「ここ何年か心臓に疾患があることが分かってね、
とうとう来たかと思ったのよ。
でもねマイコ、
恐くないのよ。
七十七年。
本当にいい人生だった。
愛する子供達と孫達と夫と。
そして海外へも旅して」
そう微笑みながら。
子供達の方を向いて、
「将来ね、
アフリカやヨーロッパを訪ねたら、
思い出してね。
ああ、おばあちゃん、
ここに来たんだなあって」
ネイティブアラスカンのコミュニティーで、
ネイティブ言語・文化継承教育やソーシャルワークにと活発に活動を続けた「母」。
五十歳を過ぎて村の大学へ通い始め学士号を修得し。
六十歳過ぎてからの「海外への旅」も、
女性コミュニティー活動家団体の研修旅行でした。
カップルが部屋に入ってきます。
「ああ久しぶり!会えて嬉しいわ」と抱き合いながら、
「姪とそのボーイフレンドよ。
こちらはね、
日本人の娘と孫達」
そう互いに紹介して下さり。
村から付き添ってきた「姉」(アンカレッジ在住「姉」の姉)も、
食事から戻ってきます。
二年ぶりの再会。
食事から戻ってきます。
二年ぶりの再会。
皆でわいわい賑やかに。
スマートフォンで村の写真を見せてくれる「姉」。
八人の孫、
一人一人の誕生日会、
手作りケーキ、
初めてボートを操縦する孫、
フィッシュキャンプに干される真っ赤なサーモンの切り身、
燻製小屋、
ツンドラでベリー摘みする「母」、
「いくら」サラダ。
懐かしい村の風景。
その横で、
「母」が子供達にユピック語の「一から十まで」を繰り返し教えてくれます。
「お母さんの変わらずの記憶力、
周りの物事を明晰に捉える様子に驚いた」
と言う私に、
と言う私に、
「クロスワードパズルやブレインゲームを欠かさないのよ」
と笑う「姉」。
と笑う「姉」。
一時間ほど。
「そろそろお暇しますね」と言うと、
グラスの水に指を浸し、
つぶやき始める「母」。
「姉」が、
「子供達に名前を授けようとしてるのよ」と私の耳にささきます。
子供達一人一人の頭に水滴を垂らし、
呪文を唱え、
授ける名前を口にすると再び水滴を垂らし。
次女十歳は「母」の従姉妹、
三女七歳は「母」の姉(私がいただいたのと同じ名前)、
次男五歳は「母」の父の名前をいただきました。
一人一人の目や雰囲気から、
どの名前を受け継ぐのがふさわしいかが分かると。
子供達を見つめる「母」の目は、
子供達を見つめる「母」の目は、
目の前の子を通り抜け、
その後ろに広がる何かを見ているようでした。
「母」と「姉」と、
また長い長いハグをし。
静かな廊下を歩きながら、
「もう一つ名前ができちゃった!」
とはしゃぐ子供達。
建物を出ると、
秋の匂い。
かつてこの世に生きた人々が、
私達の内にも生きている・・・。
ユピック族の名前継承の慣習は、
大昔から脈々と連なる繋がり、
その先に私達は生かされているのだなあ、
そう思い出させてくれます。
そして
「これまで」と「これから」を繋ぐのが、
今ここに生きる私達の踏み出す、
一歩一歩なんですね。
母の温もりに包まれ、
壮大に広がる風景を眺めさせていただいた、
そう感じた午後でした。
花を持って。
「姉」のスマートフォン。
サーモンの卵を湯掻いた「いくらサラダ」。
水滴を垂らし名前を授ける「母」。
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