アラスカ大学で日本語を専攻し、卒業後JETプログラムの英語教師として、岩手県陸前高田の小学校や中学校で教えていたモンティ(Montgomery Dickson)君。
2011年の東日本大震災で亡くなりました。享年26歳。
日本が大好きだったモンティ君。陸前高田で教えた学校は16校を越え、とにかく日本の人々に英語を好きになってもらいたいと、学校外でも、興味を持つ人には誰にでも無料英語教室を開いていたそうです。震災後、モンティ君が受け持った学校では、英検に挑戦する生徒の数が例年の3 倍以上になったと言います。
若くして両親を失ったモンティ君。親のように慕っていたアラスカ大学日本語教授の原田氏に、東北滞在中、「これまで生きてきた僕の人生で、最高な時です」とメールを送ったと言います。
モンティ君は、「武士道」に興味を持ち、新渡戸稲造を敬愛していたとのこと。
「願わくば われ、太平洋の橋とならん(I wish to serve as a bridge over the Pacific Ocean)」
と新渡戸稲造氏が残した言葉を、自らのミッションとして東北に渡り、昼夜英語を教えることに情熱を燃やしていたんですね。
(新渡戸氏が客死した地、カナダ、バンクーバーの新渡戸稲造庭園の石碑)
津波で流される数時間前に、モンティ君は、司馬遼太郎のこんな一文を英語に訳し綴っていたとされています。
「 世のために尽くした人の一生ほど、美しいものはない」
“There’s nothing as beautiful as dedicating one’s life for a cause“
「『因』となるものに、一生を尽くすほど美しいものはない」と英訳したモンティ君。
モンティ君が身を注ぎ大切に育てようとした種(因)から芽が出るかのように、震災後、モンティ君の意志を引き継ぐため、アラスカ大学にモンテゴメリー・ディクソン日本語文化センター(The Montgomery Dickson Center for Japanese Language and Culture )が創設されました。
そして米国アラスカと日本の架け橋となる活動を目指し、着物のファッションショーやラーメンについての講演会、アラスカ大学大学生による毎年の陸前高田訪問など、これまで様々な活動が続けられてきました。
その「モンテゴメリー・ディクソン日本語文化センター」にて、子育て中の方々を対象に、様々な活動をしていこう!という動きがあります。こちらの親子に日本を、日本の親子にこちらのことを発信し、将来、日本と米国、そして異文化間の架け橋となるような人材を育てていけたら、という思いを込めて。
「ユア子育てスタジオ」でも、センターの活動を、お知らせ&報告していきます!
またアンカレッジ在住の方で、共に企画や実行に携わっていただける方を募集しています。
興味を持たれた方、是非こちらのメールアドレスまでお知らせください:pxa11670@hotmail.com (長岡真意子)