ディスレクシア。知能的には何ら問題はないながらも、読んだり書いたりなどが難しいといわれる学習障害です。
米国では10人に1人程と言われ、それほど珍しくはありません。我が家では夫が小学校低学年時に「重度」と診断され、まともに本が読めたのは高校生になってからでした。こちらでは周りの方と話していても、家族の中にディスクレシアのメンバーがいるという話、ちょこちょこ聞きますね。
日本ではまだまだ認知度の低いディスクレシアですが、テレビで特集が組まれたり、「有名人」が告白するなどで、徐々に知られるようになっていると聞いています。
「読み書き」が中心核にある現代の学校教育の中で、目に見える成果を出すことが難しいディスクレシアの子供達。知能は十分にあるため、「努力が足りない」「怠けている」などと誤解されることもあると言います。
「できない」ことに焦点のあたるディスレクシアですが、今日は「ディスレクシアであることの強み(advantage)」についての記事 ‘The Advantages of Dyslexia’ by Matthew H. Schneps Scientific American 2014 をまとめてみます。
「全体的な因果関係への繊細さ」
「不可能図形 (impossible figure)」というのを見たことがありますよね。物理的にあり得ない図形です。
こんなの:
アタマが悲鳴をあげそうです。
数学者のロジャー・ペンローズ氏や芸術家マウリッツ・エッシャー氏によるものが有名です。
ウィスコンシン大学の心理学者Catya von Károlyi氏率いる研究チームが、 こうした「不可能図形」を用いて認知実験をしてみました。より巧妙に「不可能さ」を分かりにくくした「不可能図形」と、物理的法則に則った「可能図形」とを並べて、被験者に示してみたんです。
すると、最も素早く「あり得ない図形」を見出したのが、ディスクレシアの人々だったと言います。
また、ハーバード・スミソニアンセンターの研究では、ディスクレシアを持つ天文物理学者と持たない天文物理学者に、ブラックホールの視覚的サインのモデルを見出すよう尋ねたところ、ディスクレシアを持つ天文物理学者の方が、雑多入り組んだ中から、ブラックホールを見出すことに長けていたとのこと。
同センターでの大学生に向けての実験では、ぼやけたイメージの全体像を読み取るのも、ディスクレシアを持つ学生の方が優れていたと言います。
ディスクレシアを持つ科学者Christopher Tonkin氏は、自らを「花園から雑草を見つけ出すのが得意」と言います。物事を眺め、「全体的につじつまが合う/合わない」ということを見出すのが得意なんですね。こうしたディスクレシアの人々の持つ「全体的な因果関係への繊細さ」は、例えばノーベル賞を受賞したディスレクシアの科学者Carole Greider 氏やBaruj Benacerraf氏にとっても、大きな助けとなっただろうとされています。
なぜディスクレシアを持つ人々に「全体的な因果関係への繊細さ」が培われるのか?
なぜか? ははっきりとは分かっていないようです。それでも確かに分かっているのは、「読む」という行為は脳の構造を変える、ということ。
フランスの研究で、読みを教えられなかった大人が読むことを学ぶ時、読む能力を獲得するにつれ脳に変化が起こり、特定の視覚情報を処理する能力を失うということが分かっているそうです。例えば鏡イメージを捉える能力など。
このことから、ディスクレシアの人々が視覚的に全体を捉える力に優れているのは、読む力を獲得していないためではないかと考えられているようです。文字を情報としてうまく処理できない視覚的問題が、同時に、特定の視覚的能力を培うことに繋がっているというんですね。
Andrea Facoetti氏率いるイタリアの研究チームによると、82人のまだ読むことを学んでいないプレスクーラーが、小学2年になりどれくらい読めているかを追跡調査したところ、プレスクール時代に視覚的な困難を抱えていた子が、より読むことに難しさを抱えていたといいます。
つまり、ディスクレシアとは、読んでいないという体験から生み出されるのではなく、脳の構造が初めから違っている → そのために視覚的困難を抱えていて読めない(読むという体験を積み重ねられない) → 脳の変化が起こらない → そのため「全体的因果関係への繊細さ」が培われる、 ということなのではないかと考えられています。
(以前の記事「読めば読むほど読めるようになる、ディスクレシアの改善」には、読む体験を何とか積み重ねることで、ディスクレシアの子供達も読める脳に変化していく、という研究報告を紹介しました。)
緻密に素早く目を動かし効率的に視覚情報を処理すること(読む)が出来ない代わりに、全体を一気に捉える能力が培われるんですね。
木に囚われないために、森全体を眺められるといったイメージです。
またGadi Geiger氏率いるMITでの研究では、ディスクレシアを持つ人々は、そうでない人に比べ、より広くアテンションを行き渡らせることが可能だと分かっています。そして、その傾向は視覚だけでなく、聴覚にも見られると言います。
例えばパーティーなどでも、ディスクレシアを持つ人々は、部屋で話されている言葉をそうでない人々に比べ、より拾うことが出来るとも。
ディスクレシアの強み
普通の人が気づかないような俯瞰した視点から、物事を眺められる、木に囚われない為に森を眺められる、それがディスクレシアを持つ人々の強みなんですね。そしてそれは、視覚だけでなく、聴覚、そして思考面にも見られると言います。
異なる発想や大きなビジョンが必要となるビジネスの事業家などには、ディスクレシアを持つ人々が少なくないと言います。
またこれまで、ディスクレシアを持つ人々の創造性や奇想天外なアイデアを生み出す力についての議論は多くありますね。
次のような、ディスクレシアと診断された人々リスト:http://en.wikipedia.org/wiki/List_of_people_diagnosed_with_dyslexia
にも、スティーブ・ジョブスや科学者、俳優、芸術家、詩人、多岐に渡る分野で、力を発揮する人々が名を連ねています。
といって、「読み書き中心」の今の学校教育の中で、「できない」とレッテルを貼られ、自分はだめだとすっかり自信を喪失し、力を発揮できなかった人々も膨大な数いるでしょう。
我が家を振り返って
夫と接してきて、ディスクレシアの強み、かなり納得します。その特殊な考え方にはっとさせられること、よくありました/ます。結婚する前から、自分達がどんなおじいさんおばあさんになっていたいか、とか、死ぬ前に人生を振り返ってどんなことを思っていたいかとか、ノートに一緒に書き記そう、などと、きらきらした目で言っていたなあと。 は?と私は当時全くついていけませんでしたが。(笑) 今でも、子供の教育の話し合いで、今のこの決断が孫の代にどう影響するか、とか言い出して、ついていけなくなることあります。
あと、個人的な印象ですが、「木」を見られないというより、全体を把握して、細部も見ようとするんですが、その細かさも半端じゃなかったりするんですね。文章なら、コンマの意味まで一つ一つ考え込んだり。何と言うか、「木」と「森」との間で、「チューニングが極端」なんです。普通の子が一日で読む量を、ディスクレシアの子は時に一ヶ月かけて読むとも言われますが、ただ読み終わった時には、内容をとても深く掘り下げて理解している、という話を聞いたこともあります。
こうした強みがあるとはいえ、学校の勉強はもうボロボロ。何といっても、どんな教科でも中心となる「読み書き」がうまくできないんですから。何とか落第しないようにとシングルファーザーだった父親が、毎年のように学校側と掛け合っていたと言います。
その後、努力に努力を積み重ね、誰でも入学できるコミュニティーカレッジに8年近く通い、資格をいくつか取り、卒業後は強運もあり、おかげさまで現在今の職についています。
本人曰く、子供時代を振り返り、ディスクレシアという診断によって、学校でも家庭でも「あなたには無理」という扱いが定着してしまったのが助けにならなかったと。確かに人の何倍もかかるかもしれないけれど、忍耐強く身近にサポートしてくれる人がいるなら、きっとその子は伸びていけると、彼は自らの体験から信じています。本人の子供時代は、6歳から母親なし、父親朝から晩まで働く極貧生活でしたから、とても周り誰もそんな余裕なんてなかったんですね。
ディスクレシアの人々にはガッツがあるというのを聞くこともあります。夫を見ていても思いますね。小さな頃から学校などでも踏みにじられることに慣れてますから、ちょっとやそっとじゃ倒れないんです。そしてこうだと決めたら、ブルドーザーのように突き進みます。
さて、子供達です。ディスクレシアは家系の問題とも言われ、60パーセント近くの確率で遺伝するという説もあります。夫も、お父さんがそうだったみたいです。若かりし頃、学校の勉強が苦手。晩年学校へ行き、今はエンジニアに。面白いアイデア満載で、とても楽しいグランパです。
我が家の子供達の何人かを見る時、そうかもしれないなあと思い当たるのが「隠れディスクレシア(Stealth Dyslexia)」です。
学校の成績やテストのスコアなどには一見表れないけれど、ちょこちょこと「ディスクレシアの症状」が見られるというもの。あり得ないスペルミスや設問読み飛ばしなどケアレスミスなどが多い、空間認識が高い、特に手書きのアウトプットが苦手、などなど。
ちょっと長くなってしまうので、「隠れディスクレシア(Stealth Dyslexia)」について、我が家の体験など、また後の記事にまとめてみます。
「隠れディスクレシア」は、学年が上になるにつれ書く量が増えるため、学校の勉強も困難になるという説明もありますが、一方、大きくなるにつれキーボードを使いこなせるようになり(キーボードだと書けるんです)、単純な計算やスペルを聞かれる問題が減り、困難さが減っていくという意見もあります。我が家の今のところを見ていると、後者の「困難さが減っていく」方が、当てはまっているかなと感じています。
このScientific Americanの記事「ディスクレシアの強み」を書いた、自身ディスクレシアの科学者Matthew H. Schneps氏は、記事の最後をこんな言葉で結んでいます。
「エンジンというものを動かすのは、物理的に、熱と冷たさの両方が必要です。熱だけでも、冷たさだけでも、動きはしない」
異なる力が合わさって、物事を動かす力が生まれる。
つぶさに木を見る人、木に囚われず森全体を眺める人、共に力を生かし合えたらいいですね。
そんな多様な力を合わせられるシステムを整えていく働きかけ、
そして、
周りからの「あなたには無理」を跳ね飛ばす力を子供自身につけていくこと、
私自身、ライフ・ミッションとしていきたい、そう思っています。
それでは皆様、今日もよい日を!
これまでのディスクレシアについての過去記事です:http://kosodatekyua.com/category/dyslexia/
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