夫との出会いから結婚までを振り返り書き出す機会をいただき、当時の「支離滅裂ぶり」を思い出してました。
私は当時、「教育」に携わる人々というのは、自身からは最も遠くにいる人々、そう思っていました。
「教育」というものは、「常識を教え込むことで枠の中に閉じ込める」といった感覚しか、持ち合わせていなかったんです。
私にとって「教育」とは、窒息しそうな窮屈で苦しいものでした。
それでも、5人の子育てを通し、コミュニティーの方々と密に交わり、また自らも教育関係の職場に身をおくようになりながら、当時自ら作り上げていた「教育というイメージ」には、もっと奥深い層があるのだと、実感するようになりました。
今では、教育とは、
「ひとりひとりの可能性に火をつける」ようなもの。
「常識とは、燃え上がる可能性を発揮するためのツールのひとつ」として伝えていく
ととらえています。
もうひとつ。
記事最後の、「愛する人とは一緒にいるのが自然」について、こちらに以前まとめたことがあるのですが:
恋と愛と子育てと
こうした「恋は盲目」状態から愛へと移行する過程が、互いの弱みや欠点を認め合っていくことであり、
それを繰り返すことで、いつしか「恋と愛との境を行き来できる」ようになる、そんなように感じています。
興味のある方是非どうぞ!
【地球の最北で子育て#01】日本とアラスカ、「別居婚」の始まり
途中添えた文が、編集で削られることになったので、ここに記しておきます。
「お祝いしていただいたタイ・コミュニティーの方々に感謝を込めて」
写真は、2週間ほど前に旅したバージニア州のルーレイ鍾乳洞です。
水面に映る鍾乳石!
こちら、旅日記です:
鍾乳石と石筍にうっとり&米国28代目民主党大統領ウッドロウ・ウィルソン氏の生き様に触れた旅
怒涛の行事続き師走!
皆様も、心身を労わりつつ、元気に過ごされますように!